太陽小学校のプール開き(昭和39年8月16日付「広報はぼろ」より)

太陽小学校は昭和15(1940)年12月8日、太陽尋常高等小学校として開校。場所は末広町にあった太陽産業の社宅の一部を借用し校舎とした。昭和16(1941)年4月、太陽国民学校に改称。昭和22(1947)年4月、太陽小学校に改称。「太陽」の名称は、創業期の炭鉱所有者で鈴木商店の後継会社たる太陽曹達(後の太陽産業)に由来する。昭和35(1960)年当時の全校生徒数は1,065名。留萌管内で1、2を争う大規模校となる。体育館、グラウンド、図書室、保健室なども完備し、設備の面では都会の学校に決して劣るものではなかった。なかでも管内のトップを切った二つの施設があった。一つは一つは道北では初めてとなる当時大変珍しかった円形体育館。もう一つは公式プールで、これも管内の一番手として完成。幅16㍍、長さ25㍍、深さ1㍍で8コースがとれる浄化装置が完備した公式プール。更衣室もあり、夜間用に水銀灯照明も完備した本格的なものであった。                                                                           昭和39(1964)年7月11日にプールの落成式(プール開き)が行われ、地元の子供たちが初泳ぎをして完成を祝った。                          この時の様子が昭和39年8月16日付「広報はぼろ」(羽幌町発行)のトップページに写真(上の写真)とともに掲載されているので紹介しておきたい。                                                                                              『夏になると、北のまち羽幌にも、暑さとともに、水泳のシーズンがやってきます。ことしは例年に比べ、いくらか低温のように思われますが、それでも、羽幌の前浜海水浴場や天売・焼尻道立自然公園は連日たくさんの人たちでにぎわっております。しかし泳ぎたくても海が遠かったり、適当な場所が附近になかったりして、泳げない人がたくさんいるのです。羽幌町では炭砿地区が上げられますが、七月十一日管内ではじめてのプールが、役場建設課の手によって築別炭砿の太陽小学校にでき、落成式を行ないました。巾十六メートル、長さ二十五メートル、八コースで浄化装置のある豪華なプールです。この日約千人をこす小学生、中学生、父兄それに町や炭砿の代表者が集まり、また式のあと、さっそく地元のこどもたちが元気に初泳ぎをし完成を祝いましたが、やがてこのプールからりっぱな選手が出ることを期待したいものです。』

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