築別炭砿の築炭会館映写室と火力発電所の 煙突(平成19年4月)

昭和27(1952)年に娯楽・文化の殿堂とも言える「築炭会館」が完成した。それまで末広町にあった会館とは名ばかりの建物から一転、都会の劇場・映画館と変わらない近代的な施設の誕生であった。収容人数は500人。同会館では毎日昼夜2回、2本立ての最新の映画が上映されていた。会社は根本的な電力不足を解消するため昭和18(1943)年1月、辰巳橋の南西方向に1,000kWの発電機を備えた火力発電所を建設し、あわせて150馬力捲上げ機2台、100馬力捲上げ機1台、空気圧搾機などを導入した。これにより漸く出炭量が増加傾向を示し始めた。しかし、昭和20年代半ばからの出炭量の急増に伴い、再び電力不足が顕著となったため、昭和34(1959)年8月初旬に会社は独自に曙に変電所を建設し、ほぼ同時に完成していた北海道電力「雨竜発電所―築別炭砿」間の送電線により築別炭砿の新選炭工場の運転開始と同時に送電を開始した。なお、築別炭砿変電所、羽幌本坑変電所も同時期に完成した。その後も三山(築別炭砿、羽幌本坑、上羽幌坑)合計の出炭量が年産100万トンを超えるまでに増加したことから、火力発電所は引き続き貴重な電力供給源として昭和45(1970)年の炭砿閉山まで稼働し、炭砿の電力供給を支え続けた。写真は「築炭会館」の映写室と火力発電所の煙突が重なり合う北側からのアングルで撮影されたものである。     

関連リンク

サイトマップ

TOP