大屋晋三

帝人を世界的な合繊メーカーに育てた繊維業界のリーダー

生年 明治27年(1894)年
没年 昭和55年(1980)年

群馬県出身。大正7(1918)年東京高商卒業。鈴木商店入社。

大屋は東京高商の仲間30人とともに鈴木の入社試験を受け、全員合格したという。大屋は樟脳部に入り、樟脳と薄荷の取引に携わり存分に働く機会を与えられた。やがてエジプト、天津の出張所に勤務。帰国後、クロード式空中窒素(現・下関三井化学)彦島工場建設に参画。金子直吉に勧められ、大正14(1925)年帝国人造絹糸(現・帝人)に出向。岩国、広島両工場長を経て、昭和17(1942)年取締役、昭和20(1945)年社長となる。 

その後政界に転出、第二次吉田内閣で商工大臣、第三次吉田内閣で運輸大臣歴任。しかし苦境に迫った帝人の救済のため日商の高畑会長、三和銀行の渡邊頭取らの要請を受け昭和31(1956)年、帝人社長に返り咲く。

化繊から合繊への転換に後れをとった帝人の再建のため、英国のICI社からポリエステル繊維製造技術を導入してテトロンの製造を開始、現在の帝人の基礎を築きあげた。社長在任は26年あまりに及んだ。

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