堀口菊蔵

大胆細心にして周到な計画性を併せ持つ鉄鋼スペシャリスト、タタとの商権を発展させた 

堀口菊蔵

生年 明治29(1896)年12月1日
没年 昭和31(1956)年2月28日 享年59歳

滋賀県愛知郡出身。大正8(1919)年神戸高等商業学校(神戸高商)卒業後、鈴木商店に入社。横浜支店羽二重部を振り出しに台北、名古屋、大阪各支店を歴任。

大阪支店金物部以来一貫して鉄鋼部門の営業に従事し、神戸高商の5期先輩・楓英吉とのコンビで鈴木商店鉄材部を牽引、主要部門に育て上げた。

昭和2(1927)年、鈴木破綻後、楓と共に日商創立のメンバー39名に加わり、楓を長とする日商鉄材部を5名で立ち上げた。高畑誠一がロンドン支店長だった大正7(1918)年当時から続くインド・タタ財閥との銑鉄の取引を柱にスタート。

タタの銑鉄輸入販売権については、鈴木破綻により他商社がタタ社に猛烈な働きかけを行ったが、鈴木商店ボンベイ支店長・多賀二夫が鈴木破綻後も現地に残り、タタとの商権を守り抜いた。新生・日商の基礎を築く重要な取引として継承されたが、堀口は日商本社にてこの銑鉄の取引に長く携わり、タタとの密接な関係を確立、今日の双日にも引き継がれた。

昭和14(1939)年、楓英吉は鈴木商店鉄材部に在籍した坂本寿等の呼びかけに応じて「日本発条」を設立し、日商に在籍のまま初代社長に就任すると、堀口は非常勤取締役に名を連ね側面から楓を支援した。

<日商時代の経歴>
昭和17(1942)年 取締役就任
昭和18(1943)年 常務取締役、東京支店長に就任
昭和20(1945)年5月 終戦間際に応召され、満州で終戦を迎えるもシベリアに抑留
昭和22(1947)年末 復員・帰国
昭和28(1953)年 専務取締役就任

関連リンク

関連トピックス

TOP