安並正道

海外研修からの帰途、鈴木商店が破綻し神戸製鋼所へ

生年 明治33(1900)年4月8日
没年 平成3(1991)年9月9日

高知県高岡郡浦の内生まれ。高知第一中学、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)、九州大学(機械工学科)を経て鈴木商店に入社。入社間もなくの大正13(1924)年、イギリスの重工業メーカー・ヴィッカース社への研修に派遣される。当時、神戸市が水道用大型ポンプを同社に発注していたことから、鈴木商店はロンドン支店を通じて同社に実地研修を委託したもの。

ヴィッカース社は重機関銃や戦車の製造のほか、第一次世界大戦時に日本の戦艦・金剛、三笠を建造したメーカーとしても知られる。安並は同社で3年間職工見習いとして金属のバリ取り作業などの実習を受けたと記されている。 

同社での研修を終えて帰途インド洋上で鈴木商店の破綻を知った安並は、お家さん・鈴木よねに帰国の報告に赴き、お家さんより神戸製鋼所の田宮支配人(田宮嘉右衛門)を助けるように指示されたことから神戸製鋼所での再出発が始まる。 

神戸製鋼所では一貫して機械事業部門で活躍。昭和21(1946)年に琺瑯事業を創業した神戸製鋼所は、ほうろう鉄器の本格生産に乗り出した。酒造用ほうろうタンクの他グラスライニング製ビールタンクの大量受注を実現した。昭和26(1951)年には米国からグラスライニング技術導入を図り、後の米国ファウドラー社との合弁企業・神鋼ファウドラー(現・神鋼環境ソリューション)(昭和29(1954)年)に発展する。さらに昭和30(1955)年には米国P&H社と技術提携してP&H油圧ショベルの製造を開始し、我が国の建設業界に大きく貢献した。神戸製鋼所の建設機械事業は、今日のコベルコ建機に発展した。また機械事業では昭和33(1958)年、東パキスタン(現・バングラデッシュ)向け尿素肥料工場の建設を成約した。これは当時、日本初最大のプラント輸出であった。さらに昭和38(1963)年には、同じ東パキスタンのチッタゴン製鉄所建設工事を受注した。これらはいずれも安並の常務、専務取締役時代に実現した成果であった。

安並は専務取締役として成長期の神戸製鋼所・機械事業部門をけん引した後、昭和37(1964)年神鋼商事第4代社長に転出した。商社機能を充実させ、神鋼グループの中核商社としての役割を確立した。安並の数々の功績に対して昭和37(1962)年に藍綬褒章が、昭和45(1970)年に勲三等瑞宝章が授与された。

関連リンク

関連トピックス

TOP