煙草

金子直吉の国益志向から浜口雄幸の支援を得て満州に進出

鈴木商店の煙草事業は、樟脳や塩に比べてはるかに遅れてスタートしたが、金子直吉は中国大陸や南方諸地域における欧米のたばこ会社の動きを熟知しており、国策会社「東亜煙草」の設立について、専売局長・浜口雄幸に建言するなど、煙草事業に少なからざる関心をもっていた。

「東亜煙草」と「米星煙草」の二本柱を軸に鈴木の煙草事業は展開された。当初は原料葉たばこの輸入が主であったが、東亜煙草が現地(アジア各地)での葉たばこの製造を開始すると、大正7(1918)年、米油部主任・永井幸太郎の下に朝鮮総督府専売局技師・岡田虎輔を招聘して、葉たばこの本格的な輸出入を開始。さらに専売局の委嘱を受けて欧米から製造たばこの輸入も行うようになった。

◆東亜煙草(亜細亜煙草と合併後解散)
 買収   大正2(1913)年(設立:明治39(1906)年)
 所在地  満州・奉天

東亜煙草は、満州・奉天に工場を新設し市場独占を狙うBAT社(英米煙草トラスト)に対抗すべく専売局の主導により煙草輸出業者がまとまって、明治39(1906)年国策会社として設立された。

金子直吉と同郷の浜口雄幸が専売局長であった関係から東亜煙草の設立に関わった鈴木商店は、同社の株式の買い増しを行う。

大正元(1912)年、東亜煙草監査役・山口吉(村井兄弟商会系)は、東亜煙草社株券700株を金子直吉に、200株を鈴木岩治郎に売却、岩谷松平(天狗煙草代表)は、同株券200株を藤田謙一に売却した。さらに大正2(1913)年には亀沢半次郎(東亜煙草社取締役)は、自己所有の東亜煙草社旧株券900株、新株1,000株を藤田助七に売却、これを機に鈴木商店の関与は一層緊密になり、藤田謙一を取締役に送り込んで経営に参画する。(水之江殿之著「東亜煙草社とともに」昭和57(1982)年刊行)さらに大正6(1917)年、藤田の後任として長崎英造、大正8(1919)年には、岡田虎輔(朝鮮総督府専売局技師から鈴木に入社)を役員に派遣。

大正10(1921)年、朝鮮にて煙草専売制が施行され、最大の商圏を失い、経営危機が表面化する。時の大蔵大臣・高橋是清から金子直吉に東亜の立て直しを要請された鈴木商店は、米星煙草社長を兼務する岡田虎輔専務に内地専売局との折衝を図らせた結果、専売局からゴールデンバットの委託製造を受けることに成功し、一時的に危機を乗り切ることができた。

昭和2(1927)年には亜細亜煙草と合併して打開を図る。昭和5(1930)年鈴木商店は、金光庸夫を社長に送り込んだ後、市況は一転拡大機運が高まったが金光は、政界へ転じ、拓務相就任を機に昭和14(1939)年、東亜煙草を満州煙草に身売りし鈴木関係者は撤退した。

◆米星煙草(米星煙草貿易を経て現・双日インフィニティ)
 設立   大正10(1921)年
 所在地  中国・青島(青島館陶路二号地)
設立時資本金  100万円

米星煙草の母体となったのは、大正9(1920)年、中国山東省蝦蟆屯村に設立した「瑞業煙公司」で広大な収買場および再乾燥工場を有していた。

大正10(1921)年、この瑞業煙公司を基にその事業をそのまま継承して新たにたばこ専門会社として「米星煙草株式会社」が設立された(中国・青島)。新会社の社名は、鈴木商店の商標のうち外国用商標(通称「よね星」)を「べいせい」と呼称することにしたもの。

米星煙草創立時の役員は、元・朝鮮専売局技師の岡田虎輔が取締役社長に就任、取締役に永井幸太郎、北浜留松が鈴木本社から、朝鮮専売局出身の島村明房、孫璽昌などが就任して船出した。

創立以来、比較的順調に歩み、事業も軌道に乗った矢先、鈴木商店の破綻は米星にとって大きな衝撃であったが、鈴木商店のたばこ部門の事業一切を継承、新たに高畑誠一を取締役に加えて陣容を整え、昭和2(1927)年6月1日、日商の誕生と共にその系列に入り、新たなスタートを切った。

その後、昭和14(1939)年3月、社名を「米星産業株式会社」に改称。然し米星産業は、終戦処理によって解散の余儀なきに至り、その事業を継承するため昭和23(1948)年、「米星商事株式会社」が設立され、翌昭和24(1949)年、旧・米星産業は整理。昭和42(1967)年、社名を新生「米星煙草貿易」に再度改称した後、日商岩井物資販売を経て平成16(2004)年、双日ジーエムシーに改称。令和3(2021)年、双日インフィニティと合併し現在に至る。

米星商事となって定款の一部を変更して”たばこ及びその材料品の輸出入”を目的に加え、一時水産物に重点を置いていた事業主体を創業時のたばこ貿易に原点回帰する意図が打ち出された。専売公社の指導を得て、海外の葉たばこ産地の開発、日本製たばこの輸出、外国産たばこの輸入に大きな功績を残した。取り分けフィリップモリス社の「ラーク」は、連続して輸入たばこ第一位を占め、米星煙草の名声を高めた。

関連リンク

  • 東亜煙草天津工場
  • 浜口雄幸
  • 米星煙草初代社長・岡田虎輔
  • 米星煙草二代社長・北浜留松
  • 米星煙草広告(昭和12年)

関連会社の変遷

TOP