相生市立歴史民俗資料館 REPORT「鈴木商店による播磨造船所の拡張(外観の推移)」をご紹介します。

2016.2.20.

EASTERN SHOREsinnsuikiki.PNG※左の写真は、船鉄交換船「EASTERN SHORE」の進水式の様子(大正7年)。右の写真は、同じく船鉄交換船「EASTERN SOLDIER」の進水記念絵葉書(大正9年)です。

昨年末、相生市立歴史民俗博物館は、鈴木商店工事部が播磨造船所拡張のために作成した計画図等の青写真を入手しました。鈴木商店は、相生への進出にあたり、金子直吉の指導の下に詳細な工場拡張および改築計画を作成。平田保三の入社にともない再審議し、計画の一部を手直ししました。この青写真は、この段階で作成されたものと思われます。

その後、(株)播磨造船所から帝国汽船(株)播磨造船所、(株)神戸製鋼所播磨造船工場と会社名義は変更されつつも鈴木商店本体として相生への投資は続き、6年間をかけて工場拡張および改築計画はすべて実行され、大正11(1922)年に完了した模様です。

播磨造船所の主な歴史

相生(おう)村長(県会議長)・唐端(からはた)清太郎(せいたろう)、村の将来を託す造船所を構想

・明治40(1907)年3月 播磨船渠(せんきょ)株式会社設立 船渠工事に着手するが、船渠崩壊で破綻

・明治44(1911)年1月 播磨船渠合名会社設立 船渠工事再開 明治45(1912)年1月 船渠完成

・明治45(1912)年6月 播磨造船株式会社設立 修繕主体の小規模造船所として創業

・大正4(1915)年8月  一番船、鈴木商店発注の曳舟「神の浦丸」進水

・同年9月       唐端清太郎、鈴木商店の金子直吉に播磨造船の買収と拡張を要請
           鈴木商店、播磨造船の買収と大規模な拡張・新造船事業への進出を計画
           仮船台を建設し、二番船の貨物船「吉備丸」起工

・大正5(1916)年4月  鈴木商店、株式会社播磨造船所設立 大正6(1917)年から新船台で建造開始

・大正7(1918)年5月  鈴木商店の事業編成で帝国汽船株式会社播磨造船所になる

・大正10(1921)年2月 鈴木商店の事業編成で株式会社神戸製鋼所播磨造船工場になる

・昭和4(1929)年11月 神戸製鋼所、播磨造船工場を分社し、(第二次)株式会社播磨造船所を設立

このリポートは、当記念館の編集、とりわけ「地域特集(相生)」について全面的にご協力を頂いています松本恵司氏(*)が、自ら入手された前述の青写真等の計画図・相生映像アーカイブが管理している画像・播磨造船所50年史(播磨造船所50年史編纂室編)の記述を照合し、大正期の播磨造船所の外観の変遷を時系列的にまとめられた大変貴重な資料です。

(*)NPO相生いきいきネット 相生映像アーカイブご担当・相生市立歴史民俗資料館歴史講座講師・兵庫県立須磨友が丘高等学校 教諭

リポートの全文は、下記の関連リンクよりご覧下さい。
※当記念館の「鈴木商店の歴史」、「企業特集」、「地域特集(相生)」からもご覧頂けます。

なお、このリポートにつきましては神戸新聞[西播磨版](2016.2.18)に掲載されました。

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