「マッサンと鈴木商店」をご紹介します。

2015.1.7.

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現在放映中のNHK連続テレビ小説「マッサン」は、主人公のマッサンこと亀山政春(モデルはニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝)がいよいよ運命の地・北海道余市に足を踏み入れる場面になります。

竹鶴が大阪の工業高校を終え最初に就職した「摂津酒造」(ドラマでは住吉酒造)の阿部社長から、本場スコットランドに行ってウィスキーを勉強する機会を与えられたのが、大正7(1918)年6月29日のことでした。

当時、英国へ渡るには欧州航路を利用するのが一般的で日本から50日余りでロンドンに着きます。竹鶴は郷里広島の中学の先輩の勧めもあり、米国カリフォルニアの葡萄酒工場を見学に立ち寄るため、太平洋航路でアメリカ大陸を横断し、英国へ渡るルートを選びました。カリフォルニア州都サクラメントのワイナリーでの研修を終え、サクラメントから鉄道でニューヨークへ向かうことになります。

作家川又一英(かわまた かずひで)が、国産初のウィスキー造りに生涯を賭けた竹鶴政孝の生涯を描いた小説「ヒゲのウヰスキー誕生す」(新潮社、昭和57年出版)の中で、竹鶴がサクラメントから鉄道でニューヨークへ向かう列車で出会ったある日本人について次のような記述をしています。

『竹鶴のサクラメント滞在は、一か月ほどで打ち切られた。英国では秋から新学年が始まるというから、急がなければならない。サクラメントからは鉄道でロッキー山脈を越え、ニューヨークへ向かった。

列車には一人の日本人が乗り合わせていた。鈴木といいます、とその青年は名乗った。青年は列車の中で一通の電報を受け取った。"すぐ帰らんとなりまへん。米騒動が起こっとるちゅうこと聞いて心配しとりましたが・・・。家がとうとうやられよって洋行どころではあらしまへんのです。"

青年は大戦景気で急成長した神戸の鈴木商店の長男だった。米騒動の打ち壊しにあって、家も商売も危いらしい、と沈痛な面持ちで語る鈴木に、竹鶴は慰めの言葉もなかった。・・・・』

このようにマッサンと二代目鈴木岩治郎の思いがけない遭遇があったということです。この時、マッサン・竹鶴政孝は24歳、対する岩治郎は、41歳であったことになりますが、岩治郎の米国出張の詳細は定かではありません。鈴木商店本店では、金子直吉が中心となって日米船鉄交換協約の交渉の真っ最中であり、また弟岩蔵は、設立したばかりの帝国人造絹糸の初代社長に就任するなど相次ぎ設立した関係会社の管理に手一杯の状況での岩治郎の渡航であったようです。

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