鈴木よねの日記「日用ひかえ」シリーズ③「鈴木岩蔵米国留学を終え帰国する」をご紹介します。
2025.8.30.
明治45(1912)年、 鈴木よねの三男・岩蔵が米国留学を終えて帰国することになった。(以下に書き下し文を記します。原文は、下記の関連資料をご覧ください。)
「明治45年11月26日
米国より岩蔵帰国する 船の名加茂丸」
岩蔵(明治17(1884)年~昭和26(1951))は、米国ミズリー州の*セントラル大学、マサチューセッツ州のマサチューセッツ工科大学(MIT)の両大学に学び米国留学は、10年近くに及んだ。そのうちのMITには明治41(1908)年に入学、明治45(1912)年に卒業している。帰国時、岩蔵28歳。(写真左は、MIT最初の建物(ロジャース・ビルディング)、右は、セントラルミズーリ大学)
MITは、1865年マサチューセッツ州ボストンに理工系専門教育機関として創設されたが、その後1916年同州ケンブリッジに移転した。岩蔵の在学当時は、ボストンに本部が置かれていた。
岩蔵は、化学工学科を専攻したが、"化学工学を学んだ最初の日本人"として帰国後は、京都大学化学工業教室(後の工学部)の創設に大きな影響を与えた先駆者として評価されています。
なお、岩蔵が帰国の際利用じた"加茂丸"は、日本郵船が欧州航路に運行する客船で、明治41年、三菱造船所にて竣工。英国より乗船し帰国の途についた模様。
*ミズリー州セントラル大学は、セントラルミズーリ大学(1871年設立)と思われる。