鈴木よねの日記「日用ひかえ」シリーズ①「後藤新平を別邸に迎える」をご紹介します。
2025.7.6.
お家さん・鈴木よねの遺品には、俳句、和歌を集めた「鈴の音」「波の音」の書籍を始め、和歌の短冊、当座帳(出納帳)のほか日々の出来事を記した日記帳「日用ひかえ」があります。明治45(1912)年元日より大正13(1924)年12月29日までの出来事が記録され、鈴木よね個人の日常の生活のみならず、鈴木商店の個人商店時代から合名会社への事業の発展の様子が伺え、貴重な資料として注目されます。「日用ひかえ」シリーズとしてご紹介します。
明治45年3月7日には、東京より神戸に来られた後藤新平一行を別邸に迎える様子が記されています。また、後半には、米国ボストンより帰国した来客よりボストンに留学中の息子・岩蔵の消息を聞いたことが書かれています。(以下、書き下し文をご紹介します。なお、原文は、下記の関連資料をご覧ください。)
「三月七日
東京より後藤大人下神 ミカドホテルにご機嫌うかがいに行き それよりお馬車にて後藤大人、私、鉄道局長長谷川様、郵便局長加藤殿、後藤勝造殿 脇の浜にて 勝造殿、私下り別荘に入る 大人は製工(鋼)所に行かれる 中飯を別荘にて上がる事と相成り候
その日午後に米国ボストンより久田と申す人来りて別荘にてお目にかかり 岩蔵のはなしいろいろ聞く事」
明治45年当時、後藤新平は、桂内閣の逓信大臣兼鉄道院総裁(明治44年8月30日~明治45年12月20日)の要職にあった。鉄道局長、郵便局長の部下や旧知の後藤勝造等と共に鈴木よねの"脇の浜の別邸"を訪れるという出来事だった。また後藤新平は、前年の明治44(1911)年、鈴木商店より分離独立した神戸製鋼所を訪れたことも記されています。(左は脇の浜別荘)
鈴木よねの三男・岩蔵は米国・マサチューセッツ工科大学(MIT)に留学中で、同年末には卒業の見込みで、脇の浜の別荘を訪れた久田氏より岩蔵の消息を聞いたことを記しています。