鈴木よねの日記「日用ひかえ」シリーズ②姫路・米田町へはか参り」をご紹介します。

2025.7.15.

history_1姫路みゆき通り(明治36年頃).jpg 「日用ひかえ」シリーズ第2回は、お家さん・鈴木よねの実家のある姫路米田町への墓参についての記述です。(写真は、明治36年頃の姫路駅に近いみゆき通りの町並)

 明治45(1912)年10月1日の箇所は、次のように記述されています。姫路米田町へ恒例の墓参りの様子が残されています。以下書き下し文をご紹介します。

「十月一日

 姫路のおはかに参る その時ヒサ、まさ江、福永夫婦、下女すて五人連れにて 行き先おはかに参り米田町 神戸清次郎様へ行き 道連れにて本籠寺へ行き仏事のはなしをして日を六日と定め十月六日に 岩治郎、福永夫婦参り仏事を致す事」   (原文は、下記の関連資料をご覧ください。)

 姫路米田町は、当時和洋蝋燭、呉服、砂糖商、荒物漆器、玩具商等の小規模商工業者が店を構え、よねの父親の塗師・西田仲右衛門が丹波屋を営んでいた生家があった。4男3女の兄弟の三女として生まれ育った町で、菩提寺・本籠寺には度々墓参に訪れています。(本籠寺は、姫路船場別院本徳寺の末寺のひとつ;現存していない)

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