柳田富士松に関する関係者の言葉シリーズ③「鈴木商店の元社員の言葉」を掲載しました。

2021.7.17.

tanagidahujimatu2.PNG柳田富士松に関する関係者の言葉シリーズの3回目です。

今回は「鈴木商店の元社員(*)の言葉」をご紹介します。

(*)賀集かじゅう益蔵えきぞう、上村政吉、亀井英之助、山地孝二の各氏

※右下の写真は、鈴木商店ゆかりの祥龍寺に建立されている「柳田富士松翁頌徳碑」です。






■賀集益蔵(鈴木商店経理担当、三菱レイヨン社長・会長、日本化学繊維協会会長)の言葉

かじゅうえきぞう.PNG「此の金融苦難時代に金策奔走に疲れて此の打開に苦慮している時、柳田さんに激励され又心から慰労して下さった。

特に店務繁忙の場合は、私生活に迄心尽して下さる親切に感激して、私は一日の労苦も忘れて翌日の活動を期待していた。金子さんは吾々店員の偉い父であり、柳田さんは慈しみの母である感じであった。」(一部抜粋)






■上村政吉(鈴木商店大阪支店長兼砂糖部長)の言葉

「柳田さんは堅実主義で、商売は地味な方であった。・・・・ 翁は私どもに商売は決して派手にやるな。地道で行け、大きな儲けを望むより決して損しないことを心がけよ、と常に言い聞かされた。

・・・・ 翁の道楽は砂糖商売以外には無かった。翁は身体の具合もあったであろうが酒はきらいな方で、飲まれても至極少量であった。女道楽など聞いたこともなければ見たこともなかった。私欲私心のない翁はただ主家繁栄を(こいねが)う一点に努力が集中された以外には何ものもなかった。」(一部抜粋)
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■亀井英之助(鈴木商店社員)の言葉

「翁は商店の柱石として重大事項の相談を受けられる以外は外面に立たれず、名利は眼中になく、何事も主家第一で終始砂糖部の牙城に全力を尽し、全く一人一業主義を実地に示現せられた。

周到なる注意力、(せん)(みつ)なる頭脳、加之(しかのみならず)多年の経験を以て不眠不休の滅私奉公振りを発揮せられたから事業の堅実なる発展は申すに及ばず、部下の勤務振りも自ら正さざるを得なかった。」(一部抜粋)


■山地孝二(鈴木商店社員、世界各地への移動出張員)の言葉

yamajikouji.png「金子翁の活動的な反面無情に迄見える御性格に対し、常に小僧に至る迄店全体の者に対して暖く気を付けて居られた事は、店内の人心を常に鈴木に引付けて居られた原因と思います。その後、僕が海外へ出張する様になっても帰国の都度慈父の暖か味を以て慰労激励され、此店の為にはと常に緊張を覚えたものです。

金子翁が後顧の憂なく大に世界的に活躍され得たのも女房役の柳田翁が陣営を微動だにさせず、固く守って居られた事があずかって大に力あった事と今にして痛感するのです。」(一部抜粋)



鈴木商店の元社員の言葉を一言で表すと、柳田富士松は「事業では"堅実"を信条とし、金子直吉の女房役としても店の陣営を微動だにさせず」とも言うことができるでしょう。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

人物特集>柳田富士松>柳田富士松に関する関係者の言葉シリーズ③「鈴木商店の元社員の言葉」

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