「日本工具製作(現・日工)の歴史④」を掲載しました。

2021.2.22.

「日本工具製作」(現・日工)の歴史を紹介する4回目です。

souritu15syuunenkinensatuei2.png第一次世界大戦終結による反動不況、昭和金融恐慌など不況の荒波に翻弄され続け、日本工具製作の業績が赤字・無配を続ける中、社長就任以来8年にわたり老軀をいとわず社業の発展に奮闘を続けていた(つじ)(たい)(じょう)()(が脳溢血で倒れ、昭和5(1930)年7月2日に帰らぬ人となりました。

辻が亡くなる前年の昭和4(1929)年12月28日、辻の後を受けて70歳を目前にした取締役の吉本亀三郎が周囲の声に押される形で日本工具製作の第二代社長に就任しました。

その後もアメリカ発の世界恐慌が起こり、またイギリスのポンド危機が伝えられるなど、わが国の不況は昭和5(1930)年、6(1931)年と続き、一層深刻の度を増していきました。

しかし、昭和6(1931)年12月の政府の金輸出再禁止(金本位制停止)による円安や景気対策によりわが国の景気は急速に回復するとともに、この頃からようやく同社の「トンボ印」の製品の真価が認められ販路拡張も実を結び、昭和8(1933)年頃からは同社への注文も急増しました。

昭和9(1934)年、同社は従来の設備では需要の急増に応じきれなくなったため、明石郡外林崎村(現・明石市)の土地建物を買収し同年9月1日、第二工場(木柄製造工場)および木材倉庫を建設して増産体制を整えました。

上の写真は、創立15周年記念式典(昭和9年8月13日)の会場となった第二工場前での従業員一同です。

詳細については次の関連ページをご覧下さい。

企業特集>鈴木商店と関係の深い会社>日本工具製作>日本工具製作(現・日工)の歴史④

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