「日本油脂(現・日油)の歴史③」を掲載しました。

2018.8.12.

「日本油脂(現・日油)の歴史」を紹介するシリーズの3回目です。

kubotasirou3.PNG鈴木商店の魚油倉庫(神戸市・(かる)()(じま))で続けられた久保田四郎の硬化油に関する実験室的研究は1年余りで終了し硬化油工業化の見通しがついたため、鈴木商店はの神戸製鋼所(神戸市(わきの)(はま))内の中央研究所に硬化油パイロットプラントを建設し大正3(1914)年6月、プラントの運転を開始しました。

しかし、技術の未熟さと不注意から運転中に故障が頻発し、ついには苦労して建設した水電解工場が2度にわたり大爆発を起こすなど、一時はプラントの稼働が危ぶまれるほどでした。しかし、剛直な金子直吉はその成功を信じて多額の出費を顧みず、久保田らの硬化油工業化の試験を督励しました。

当時、久保田の硬化油製造試験、硬化油パイロットプラントの建設に当たったのは、村橋素吉、磯部房信、久保田四郎、長郷幸治、牧実、二階堂行徳ら鈴木商店技術陣の精鋭で、彼らは鈴木商店という一企業の枠を超え、わが国油脂工業界の柱石であったということができるでしょう。

写真は、鈴木商店で硬化油の研究に従事した久保田四郎(後・(第一次)日本油脂副社長)です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>油脂業界への進出~豊年製油・合同油脂の設立>日本油脂(現・日油)の歴史③

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