鈴木商店こぼれ話シリーズ㉖「三井グループに引き継がれた鈴木商店の見果てぬ夢」をご紹介します。

2018.3.25.

クロード式窒素工業-2.jpg鈴木商店破綻による関係会社の解体・整理は、台湾銀行によって進められた。財閥やその他の企業に売却された会社、解散・整理された会社、また自主再建を果たし現在につながる会社も多くある。

鈴木商店発展の基礎を築いた製糖、合成アンモニア、化学事業の中核企業の多くが財閥系に移譲された。言い換えれば我が国の基幹産業の多くは鈴木商店系企業から生まれ、新たな土壌で大きな根を張ることとなった。(写真はクロード式窒素工業)

鈴木商店の主要な事業のうち、三井グループに移譲された事業には以下の企業がある。                        ◇塩水港製糖:台湾製糖(三井物産系)へ                                                     ◇日本製粉:三井物産へ                                                               ◇クロード式窒素工業:三井鉱山(現・下関三井化学)へ                                            ◇日本金属・彦島製錬所:三井鉱山(現・三井金属系彦島精錬(株))へ                                   ◇日本金属・日比製錬所:三井鉱山(現・パンパシフィック・カッパー日比製錬所)へ

三井化学のウェブサイト「The Roots ~受け継がれるDNA・三井化学の歴史~」には、三井グループの化学工業は、鈴木商店の事業を継承したことが始まりとしている。「合成アンモニアの変遷」ページをご覧ください。 http://jp.mitsuichem.com/corporate/history/

"三井鉱山が石炭化学事業として合成アンモニアに進出したのは、昭和3年(1928)。総合商社であった鈴木商店の事業を引き取ったことから始まります。鈴木商店は大正10年(1921)、クロード式アンモニア合成技術の特許を購入し、大正13年(1924)山口県彦島に工場を建設しました。しかし第一次世界大戦の終結とともに、経営環境が悪化し倒産。三井鉱山は、買い取りを要請され、合成アンモニア・硫安事業への参入に向けた事前調査を経て、昭和4年(1929)に買収。彦島工場(現・下関三井化学)が加わりました。" (三井化学のホームページ)

鈴木商店ロンドン支店長だった高畑誠一の先見の明により獲得したクロード式アンモニア合成技術特許に賭けた夢は、新たな舞台で展開を見た。クロード式窒素工業で技術責任者として先頭に立って事業化を進めた磯部房信は、三井系に移った後もクロード法による硫安製造に大きな役割を果たし、「東洋高圧工業」の誕生に貢献している。

さらに鈴木商店の非鉄金属製錬事業・日本金属(彦島製錬所)は昭和3(1928)年三井鉱山に吸収合併され、三井鉱山・三池製錬所彦島工場として再スタートした。昭和27(1952)年、三井鉱山は、三井金属鉱業と改称、同工場は、三井金属・彦島製錬所となる。さらに昭和61(1986)年、亜鉛事業を分離し、彦島製錬を設立する。

日本金属・日比製錬所は昭和11(1936)年、昭和鉱業の経営となった後、昭和18(1943)年三井鉱山が昭和鉱業を買収、その後日比共同製錬・玉野製錬所を経て平成18(2006)年、パンパシフィック・カッパー(株)日比製錬所に商号変更し、今日に至っている。大正4(1915)年に建設され、今なお残る銅製錬の溶鉱炉跡、大煙突には往時の記憶が思い起こされる。(下記の関連リンクのうち、企業特集>金属・金属製品ページの下部関連トピックス写真をご参照ください。)

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