「播磨造船所の歴史①」を掲載しました。

2019.10.25.

karahara.PNG大正5(1916)年4月、鈴木商店は兵庫県相生町(おおちょう)の「播磨造船株式会社」を買収して「株式会社播磨造船所」を設立し、造船事業に乗り出しました。

本日から、鈴木商店の進取・積極的方針の下で幾多の困難を乗り越えつつ、わが国屈指の造船所へと発展していった播磨造船所の歴史を9回シリーズで紹介してまいります。

明治25(1892)年当時、人口約5,400人の漁村であった相生村(おおむら)の村長に招へいされた唐端清太郎(からはたせいたろう)は相生を「西の神戸」にすることを目指し明治40(1907)年3月、阪神の財界人や地元有力者の支援を受け、村の未来を託して「播磨船渠株式会社」を設立しました。しかし造船所の経営は思うに任せませんでした。

上の写真は、彼が村長に就任していなかったなら今の相生市は存在していないだろうと誰もが思う相生の大恩人、唐端清太郎です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>造船業への進出、播磨造船所・鳥羽造船所の設立>播磨造船所の歴史①

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