<追悼>太陽鉱工名誉会長・鈴木治雄氏
2017.1.6.
年の瀬も迫った昨年12月19日(月)、太陽鉱工名誉会長で鈴木商店のOBにより組織された辰巳会の会長を長きにわたり務められ、また当記念館の代表でもある鈴木治雄氏が肺炎のため逝去されました。98歳でした。
鈴木氏は大正7(1918)年2月2日、鈴木岩蔵(鈴木商店の創業者・鈴木岩治郎と妻・よねの三男)の長男として出生。この年は神戸・東川崎町の鈴木商店本店が米騒動の煽りを受けて焼き打ちに遭ったまさにその年でした。
鈴木氏は関西学院大学卒業後、昭和16(1941)年3月鈴木商店のゴム部門を起源とする日本輪業ゴム(現・ニチリン)に入社、昭和23(1948)年3月日輪ゴム工業(現・ニチリン)取締役就任、昭和26(1951)年4月鈴木商店の子会社・太陽曹達を起源としレア・メタルやレア・アース等の開発・製造を主業とする太陽鉱工取締役就任、昭和39(1964)年3月同社常務取締役就任、昭和44(1969)年10月同社代表取締役専務就任、昭和45(1970)年11月に同社代表取締役社長に就任し、その後21年にわたり社長を務められました。
また、鈴木商店の非鉄金属事業として設立された日本冶金を起源とする東邦金属の取締役、鈴木商店の直営薄荷製造所を起源とする鈴木薄荷の取締役、総合商社・日商(現・双日)の監査役などを歴任されました。
太陽鉱工および太陽鉱工グループの企業の発展に多大な貢献をされ、昭和13(1938)年5月に86歳で亡くなられた祖母・鈴木よね(お家さん)を上回る天寿を全うされた鈴木治雄氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。