鈴木商店の情報収集シリーズ ②特命移動社員について

2016.12.20.

DSC_0192山地孝二.jpg鈴木商店では、明治40年代後半に入り取扱い商品の多角化が促進されると社員の欧米各地への派遣、海外支店出張所の創設・拡充が図られました。自社の営業所開設までは、ロンドン、オーストラリア、米国、ペトログラード等へ続々と社員を派遣しました。さらに大正期に入ると業容の拡大に伴い、内外支店出張所の拡充に拍車がかかりました。

しかし、大正3(1914)年、第一次世界大戦が勃発すると鈴木商店も世界各地から情報収集する必要から、海外の駐在員事務所でカバーできない地域について急遽移動出張員の派遣を決定しました。移民日本人が多く住む中南米の情報収集もあり、英語、スペイン語堪能な社員・山地孝二の派遣が決まったのです。

大正6(1917)年~大正10(1921)年に山地が訪れた地域・国は、ヨーロッパ各国、北米、南米、中米、メキシコ、南アフリカ、蘭領東インド(今日のほぼインドネシア)、仏領インドシナ、海峡植民地(Straits Settlements:英領マレー)、北・南支那、満州、シベリア、朝鮮、台湾に及び、これらの国々を日本の客船で巡り、立ち寄った各地の生の情報は金子直吉の元に届けられました。

また鈴木絶頂期の大正7年当時には、内外に70有余を超える支店出張所体制が整い三井と覇を競う陣容が形作られました。帝国興信所等の記録によれば、次の内外ネットワークが形成され世界的に戦線が張り巡らされました。

(支店)東京、大阪、名古屋、下関、横浜、札幌、小樽、函館、旭川、台北、台南、京城、大連、青島、上海、スラバヤ、ロンドン、ニューヨーク

(出張所)根室、釧路、野付牛(後の北見)、横須賀、金沢、舞鶴、門司、佐世保、福岡、宮崎、鹿児島、呉、那覇、仁川、釜山、清津、郡山、鎮南浦、ウラジオストク、台中、高雄、基隆、嘉義、長春、開原、鉄嶺、ハルピン、安東県、済南府、天津、漢口、香港、厦門、汕頭、福州、広東、バタヴィア(ジャカルタ)、カルカッタ、ボンベイ、マニラ、ポートサイド、アレクサンドリア、ペトログラード、ブエノスアイレス、バルパライソ、メルボルン、ハンブルグ、マルセーユ、リヨン、ヒューストン、ポートランド、シアトル、サンフランシスコ、フォートウォース

特命移動社員のほか、重点地域を定期的に巡回する短期出張社員を派遣、鈴木商店の情報収集力がいよいよ発揮される体制が出来上がったのです。三井物産では、鈴木に対抗して急遽「特務機関」の設置を検討始めています。

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