羽幌炭砿にまつわる話シリーズ①「炭鉱の人々の暮らしぶり」をご紹介します。

2017.11.24.

daigosyouikamihaborbunnkan.jpg昭和30年代後半の最盛期には年産100万トンを超える出炭量を達成し、「中小炭鉱の雄」とも称された羽幌炭砿にまつわる出来事やエピソードを今後11回シリーズでご紹介してまいります。

知られざる事実や逸話を通して、かつて隆盛を誇った羽幌炭砿に思いを馳せていただくことが出来れば幸いです。

初回は、羽幌炭砿創業当初のないないづくしの生活から、都会に勝るとも劣らない住環境が整う昭和35(1960)年頃に至るまでの炭鉱の人々の暮らしぶりをご紹介します。

昭和15年(1940)年2月、長く羽幌炭砿の屋台骨を支え続けることになる三山の一つ「築別炭砿」が開坑しましたが、立地条件が悪くあまりにも山奥であることに驚いて一日か二日でヤマを去って行く人も多かったといいます。昭和16(1941)年11月、ようやく社宅に電灯がともりました。

その後、炭砿の発展に伴い、住居、文教施設、体育施設などの福利厚生面も徐々に充実し、羽幌炭砿創立20周年を迎えた昭和35(1960)年頃には、ヤマには都会に勝るとも劣らない明るく住みよい環境が整います。当時、食料、衣料、生活用品などは三山の生活協同組合と会社直轄の配給所で人々はいつでも都会と同じ物を購入することができるようになりました。

写真は、昭和35年頃の上羽幌坑配給所内の様子です。

詳しくは下記の関連記事をご覧下さい。

鈴木商店の歴史>金子直吉のお家再興に向けて>羽幌炭砿にまつわる話シリーズ①「炭鉱の人々の暮らしぶり」

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