「日本セルロイド人造絹糸(現・ダイセル)設立の歴史④」を掲載しました。

2017.4.16.

konndourenneinosyo.PNG日本セルロイド人造絹糸(現・ダイセル)の歴史を紹介するシリーズの4回です。

大正7(1918)年に第一次世界大戦が終結すると、反動不況によりセルロイドは大幅な供給過剰となり、また工場の乱立により樟脳の原料である楠(クスノキ)の乱伐も危惧される状況にありました。結局台湾専売局の斡旋により、大正8(1919)年に日本セルロイド人造絹糸、堺セルロイド、大阪繊維工業ほか合計8社が合併し、「大日本セルロイド」が誕生します。その後鈴木商店は昭和2(1927)年に経営破綻を余儀なくされ、鈴木商店のセルロイド事業への関与はここに終わりを告げたのです。

写真は、日本セルロイド人造絹糸の初代社長・近藤廉平直筆の書『工化之妙無窮』です。明治42(1909)年に書かれたもので、「化学工業の不思議さ、素晴らしさは窮まりない(=極まりない)という意味です。

詳細は下記関連リンクをご覧下さい。

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