西川政一社長の社長室の写真をご紹介します。(その➀)

2015.8.5.

西川政一社長(社長室にて)27.7.14).jpg

西川政一は兵庫県氷上郡竹田村(現・丹波市)にて出生。地元の竹田小学校で学び、大正3(1914)年の春に同校の西山校長の紹介で鈴木商店に使い走りのいわゆる"ボンさん"として入社しました。当時は筒袖の和服に三尺帯、それに草ぞうりといういで立ちであったといいます。

西川は後に岳父となる支配人・西川文蔵に見込まれ、鈴木商店で働きながら私立育英商業、市立神港商業に学び、さらには鈴木を一旦退社して神戸高商(後・神戸大学)に学びました。

"ボンさん"からスタートした西川は、鈴木商店が昭和2(1927)年に破綻するまでは鈴木の一員として働き、その後は鈴木の流れを汲む日商において幹部社員としての道を歩み、ついには社長にまで上りつめました。昭和43(1968)には岩井産業との合併を成功裏に導くなど、まさに立志伝中の人物でした。また、西川が30年余りの長きにわたり日本バレーボール協会の会長として我が国のバレーボールの普及・発展に力を尽くしたことも決して忘れてはならない偉大な功績です。

写真は 日商時代の昭和41(1966)年9月、大手町の貿易会館にあった社長室の様子です。(窓の外には銀行協会のレンガ造りの建物が見えます)西川社長(右側、当時67歳)が記者と対談中のひとコマで、左手奥には鈴木よねと金子直吉の胸像が安置されています。このことからも、西川の鈴木商店に対する思い入れをうかがうことができるでしょう。

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