神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第37回をご紹介します。

2017.3.14.

神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の「エピローグ なぜ破綻?㊦ (37) 企業経営に教訓」が、3月12日(日)の神戸新聞に掲載されました。

今回の記事は、平成16(2004)年、ダイエーが産業再生機構の傘下に入ったときの高木邦夫社長の辞任会見の場面から始まります。続いて、経営共創基盤代表取締役・冨山和彦氏は、破綻した鈴木商店から得る教訓は大きいとし、天才(金子直吉やダイエーの中内功)はその天才性が時代とずれた時に修正が利かないと語り、神戸製鋼所相談役・佐藤廣士氏は、環境の変化に気づくための社員の考え抜く力が会社の強さにとって最も必要と語り、評論家・佐高信氏は、ホンダやソニーにはブレーキ役たるナンバー2の金庫番がいたが金子にはいなかったと語っています。最後に冨山氏は、製造業で(鈴木の流れを汲む)これだけの会社が残っており、鈴木商店は十分に役割を果たしていると締めくくっています。

nissyou40nennoayumi.PNG鈴木商店破綻の原因や教訓についてはすでに多くの著作・人物によって語られていますが、「日商四十年の歩み」(昭和43年9月発行、発行者:日商株式会社)にはその辺りのことが、金子直吉が近代経済史において非凡な先覚者であったことを含めて、的確にまとめられていますので以下にご紹介しましょう。

「鈴木は鈴木自身亡ぶべくして亡びたのか、あるいはまた外的な力によって亡ぼされたのか ...。議論はいろいろ展開されることと思う。... いまにして思えばやはり鈴木は亡ぶべくして亡びたというべきであろう。

そしてその鈴木王国の中の金子直吉の存在はわすれることのできない偉大なものであった。正に鈴木は金子直吉によって王国となり、金子によって亡びたとでもいうべきか ... 。

金子直吉の仕事ぶり、その卓越した着想、創造力、積極性、行動力、等等、いままで許すかぎり述べてきたが、これらは金子直吉という人間を語るに万分の一にもすぎない。金子の思想や事業を語るだけでも浩瀚(こうかん)の伝記が必要であろう。

明治の末期、砂糖、樟脳を主業とする神戸の一介の貿易商にしかすぎなかった鈴木商店を、金子は彼一流の着想と積極性でもって十年もかけずに世界の鈴木王国にまで育て上げた。これが天才でなくて誰が成し得ることだろうか。

kanekonaokiti6.PNGだがその反面、金子が卓越した事業家であればあるほど、その内部から生じてくる矛盾は強大であった。そして鈴木の不幸はそのような矛盾を金子が気づくのが遅すぎたことにある。ここであえて死者に鞭打つ批判をするわけではないが、金子が偉大な事業家であっただけに、鈴木の経営が金子ワンマンにゆだねられたこと、そして更に天才にあり勝ちな自信過剰から、金子がみずからの力を過信したことが惜しまれてならない。

ここに改めてわれわれは、鈴木の歴史すなわち金子の歴史であったことを、深く肯定せざるを得ないし、鈴木破綻の数多くの原因のうち、何が一番大きく影響したかを知るとともに、企業経営における組織と人間の関係の重要さをいまさらながら学ばざるを得ないのである。

このような鈴木自身の内部的要因のほかに、日本の資本主義発展過程の中での鈴木破綻の必然性もあげられるであろう。明治末期において一応の日本型産業構造の基礎を固めつつあった日本の資本主義は、利潤率の低い重工業部門よりも軽工業部門への資本の投資を説教的に行っていた。資本の蓄積度の低い初期の日本経済は、大きな固定資本がいり資本の回転速度の遅い重工業部門への投資を意識的に避けたといえる。...

... 彼(金子直吉)は日本の未来を画いて、あえて困難と思われる鉄鋼業(神戸製鋼所の前身・小林製鋼所)を選んだ。これはまさに卓見であった。この金子の達識があまりにも卓見でありすぎて、日本経済の成長のテンポと噛み合わなかったことが鈴木崩壊の一因でもあった。

しかし、鈴木は亡んだけれども金子の意思は戦後の日本において華華しく開花した。重工業部門に支えられた後の日本経済は、奇跡的な成長を続けている。... 確かに、歴史的必然性に順応できなかった金子自身にも重大な欠陥はあったが、歴史の流れよりも常に一歩先を読もうと努力した彼は、近代経済史において非凡な先覚者だったことは間違いのない事実であろう。」

下記関連リンクの神戸新聞社・電子版「神戸新聞NEXT」から記事の一部をご覧下いただくことができます。

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