辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㊲「たつみ第37号」をご紹介します。
2022.5.22.
「たつみ第37号」は、昭和57(1982)年8月1日に発行されました。昭和35年の辰巳会発足時の会員は、1,500名を数えたが、年々物故者が増え本号発行時の会員は、363名となった。
会員の投稿は著しく減少してきたが、代わりに次々に見い出された鈴木時代の貴重な資料を紹介する紙面が多くなった。
◇「金子直吉翁の片鱗」隅田栄
金子直吉と同郷で高知市高(高知市立高)を中退し、鈴木商店にボンさんとして入社し大阪支店麦酒部に勤務した筆者は、大先輩金子にまつわるエピソードを紹介している。
金子の土佐・傍士質店の丁稚奉公時代、岩本善助なる人物の助言により鈴木商店に新天地を得た。後年、金子の大恩人・岩本翁が病に伏した時、恩人のために未知の療法であったラジュームを三菱(合資)の岩崎小弥太より高額の賃料を払って入手したと云う。
金子の恩顧に報いる隠れたる美挙を後世に伝えたいと思う。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
◇鈴木商店支店出張所&分身関係会社所在地一覧表
大正15(1926)年2月13日付一覧表。"支店出張所"には、神戸本店の他、国内外支店13か所、出張所31か所が、"分身関係会社"には、63社とそれぞれの工場、営業所、また直営製造所6か所を擁する一大コンツエルン網が記されている。(鈴木の最盛期の分身関係会社は、80社を超えていたが、大正15年当時には、かなりの事業を整理していた。)
興味深いのは、暗号帳を送付している支店出張所や分身関係会社を●印で表示していることであるが、ロンドン、ニューヨーク、テキサス、サンフランシスコ、メルボルン、シアトル、シンガポールには暗号帳を送っていない。当時の戦局、あるいは政治的な理由等特別な事情からであろうか?(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)
◇鈴木よね和歌の塗盆
鈴木よねには、和歌、俳句を集めた2冊の歌集がある。生前の昭和3(1928)年に著した「鈴の音」には300首が収められており、また亡くなった後、昭和14(1939)年には遺稿集として「波の音」が出版された。本黒漆の祝い盆に記された歌は、よね直筆ということから「鈴の音」の中の一首である。
「咲く花に いとひし風もここちよく わか葉を吹きて 夏になりけり よね」 (詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)