辰巳会・会報「たつみ」シリーズ㉛「たつみ第31号」をご紹介します。

2021.12.19.

たつみ第31号表紙.png「たつみ第31号」は、昭和54(1979)年7月1日に発行されました。表紙を飾るのは、奈良東大寺大仏殿前の参道(広場)に据えられている供養塔八角灯籠のうち、西北面の縦笛を吹く菩薩レリーフ。

東大寺八角灯篭.png 高さ4.6メートルの巨大な灯籠は、東大寺創建当時に建てられたもので、銅製の灯籠としては我国最古のもので、天平文化を伝える貴重な建造物として国宝に指定されている。 

 表紙裏には、同年5月に京都平安神宮にて開催された辰巳会全国大会の記念撮影が、また大正9(1920)年、須磨大手の鈴木本邸に集った神戸市立女子商業の生徒たちとの記念撮影に納まるお家さんの貴重な写真が紹介されている。(下記の関連資料をご覧ください。)

◇「高畑誠一さんの想い出」岩武照彦

 神戸製鋼顧問の筆者が神鋼入社間もない頃、日商本社に居られた高畑誠一氏に挨拶に行った際、新人の筆者にチタンの金属の将来性について語られ、同氏の着眼の鋭さが印象に残ったと云う。

 高畑氏の輝かしい経歴を知ったのは、城山三郎の小説「鼠」からで、爾来、同氏に身近に接する機会があり、日商、帝人、神鋼の三社幹部による恒例の"河豚を食べる会"のお世話をしたこと、同氏のゴルフにまつわる思い出等々を懐かしく語っている。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。)

◇「カネ辰ののれんを潜った小林弥太郎どん」柳田義一

 筆者幼少時の明治35(1902)年当時、鈴木商店とゆかりのある東京日本橋小舟町の豪商砂糖問屋「百足屋(むかでや)」店主・小林福太郎氏が息子・弥太郎氏(当時13,4歳)を伴い鈴木商店に来店し、息子の見習い修行を要請された。

 弥太郎氏は、即日入店が決まり"弥太郎どん"と呼ばれ神戸本店での修行が始まった。同時に鈴木商店とは格別な関係のある関西学院にも籍を置き、やがて同学院吉岡院長宅に寄宿通学することになった。明治39(1906)年、関学を卒業した弥太郎氏は、鈴木を退社し米国・コロンビア大学へ留学。

 後年、百足屋の代表者となった弥太郎氏は、野尻湖や山中湖にキャンプ場を開き、東京YMCAに寄贈しキリスト教普及活動にも活躍された。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)  

◇「カネ辰鈴木商店の思い出(1) 大里時代」中村元義

 大正3(1914)年、"ぼんさん"として鈴木商店に入社した筆者は、鈴木商店破綻までの13年間に4か所の勤務地を務め上げ、それぞれの地での懐かしく汲めども尽きぬ思い出の数々が蘇えると云う。"思い出"の第1回は、大里時代を述懐している。

 栄町通3丁目の本店に通い始めて一週間、最初の勤務地が門司市外大里町の"酒精工場"(大里酒精製造所)に決まった。同僚と二人で神戸・三宮駅から列車、連絡船を乗り継いで大里・小森江駅に到着。翌日午後、鈴木下関支店・西岡支店長に挨拶を済ませ愈々酒精工場に赴いた。

 「鈴木商店大里酒精工場」の看板の架かる正門を潜った同工場での仕事は、事務所の床掃除、机の雑巾がけ、お茶出し、電話番等々、見習い業務からスタート、3年間の大里での勤務期間では欧州大戦の戦局変動による慌ただしい対応や鈴木による宇和島の焼酎会社(日本酒類醸造)の買収、大里酒精との統合を経験した。(詳細は、下記の関連リンクをご覧ください。) 

◇「鈴木商店退社の声明書」久琢磨

 神戸高等商業学校(神戸高商)出身で、恩師・水島校長の薫陶を受けた筆者は、卒業に当たり三井物産への就職の推薦を相談したところ、鈴木商店・金子直吉からたっての要望があるとして鈴木への入社を強く勧められた経緯があった。

 筆者は金子と同郷出身ということもあり、金子に心酔、鈴木商店の土佐派のリーダーとして金子を支えて来たが、鈴木破綻に際して金子が責任辞職に追い込まれた。社員決起集会で筆者は、鈴木商店と金子は不可分であり、台湾銀行ほかの決議撤回を主張する大演説を行った。

 これが原因で筆者は会社執行部の反感を買い、会社にいたたまれない事態に追い込まれた。一夜熟慮の結果、辞表を認め声明書と共に提出し鈴木を去った。(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

◇「神戸の消防史異聞 神戸米騒動記」

 大正7(1918)年8月11日から始まった神戸の米騒動は、姫路第10師団の軍隊と地元警察の出動により17日にようやく鎮圧された。一連の騒動について、「兵庫米騒動記」(阿部真琴著)には、米騒動の直接原因について記されている。更に流血事件に発展した暴動の模様について14日付神戸新聞号外が詳しく伝えた他、神戸・東消防署が後に(昭和9(1934)年作成)"大正7年米騒動焼打事件"と題する消防史に放火被害の記録を残している。

 主な放火被害には、鈴木商店本店(458,000円)ほか、神戸新聞社(163,000円)、日本樟脳製造所(19,000円)などのほか地元の高利貸し宅2件(170,000円)があり総計816,000円ほど。(カッコ内は被害金額)(詳細は、関連リンクをご覧ください。)

 

 

 

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