辰巳会・会報「たつみ」シリーズ⑮「第15号」をご紹介します。

2020.12.1.

たつみ第15号表紙.png 「たつみ第15号」は、昭和46(1971)年8月1日に発行されました。本号発行の直前5月12日、"第12回辰巳会全国大会"が180余名の会員の参加を得て開催されたこと、辰巳会創設に尽力され昨秋亡くなられた橋本隆正氏が生前に手掛け、編纂半ばで途絶えていた"金子直吉遺芳集"が刊行される運びとなったことがトピックスとして掲載されています。

 本号表紙裏には比叡山国際観光ホテルでの辰巳会全国大会の記念写真が、裏表紙裏には、鈴木よね刀自緑綬褒章授章記念写真(明治44年頃・須磨一の谷寮にて)が載っています。

◇「未来産業で三社協調進む」

 "旧鈴木商店を母体とする神戸製鋼所、帝人、日商岩井の3社が協調して、未来事業を共同開発しよう"と大屋晋三帝人社長が昨年(昭和45(1970)年)提唱した共同事業の具体化が進んでいる。

 脱繊維を目指す帝人の石油化学部門への拡大に神戸製鋼所が機械、素材メーカーの立場で新技術の開発に協力体制をとる他、帝人が進める世界各地でのボーキサイト鉱の探索に日商岩井、神戸製鋼所も参加する、さらにボーキサイト鉱の開発に関連して神戸製鋼所では懸案となっているアルミ製錬計画の推進が加速する可能性が出て来た。(詳細は、下記の関連トピックスをご覧ください。) 

◇「浪華倉庫と帝人事件(2)」 広岡一男

 鈴木商店直系会社の浪華倉庫に籍を置いていた筆者は、鈴木破綻後、台湾銀行(台銀)の管理下に置かれていた浪華倉庫が台銀主導により渋沢倉庫に吸収合併されるという体験をした。

 その直後の昭和9(1934)年、天下を震撼させた"帝人事件"が起こり、台銀頭取始め首脳者が検挙された。もしもこの事件が前年に起こっていたら、台銀・渋沢倉庫の交渉は宙に浮き、浪華倉庫の運命は大きく変わっていたかも知れない。

 帝人の株を巡る疑獄事件では、帝人社長、台銀頭取を始め政財界、官僚ら16人が起訴され、200日に及ぶ拘留があり"検察ファシズム"と批判されたが、全員の無罪が決定された。倒閣を目的とした検察のデッチあげとされた。(詳細は、下記の関連トピックスをご覧ください。)

◇「午鈴会オン・パレード」 木畑龍治郎

 大正7(1918)年、絶頂期の鈴木商店には高商卒、中学商業卒の他、"ぼんさん"と呼ばれた見習員も大量に採用された。同年3月、4月、7月の3回に亘って入店した70余名の見習員の一人であった筆者は、同期の結束が強く午年(うまどし)入社に因んで「午鈴会」と称する親睦会を結成してクラブ活動を活発に行ったと云う。鈴木商店末期には最も大きな集団として多面に活動したが、辰巳会発足を機に50年振りに「午鈴会」の再発会が実現した。(詳細は、下記の関連トピックスをご覧ください。) 

 

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