経済野話(現代訳・抄訳)①「経済史眼の必要」

1.「樹を見る者は森を見ず」と云い、「泰山(*)に入って泰山を知らず」と云うことわざがありますが、実際鹿を追う事に夢中である従来の歴史家は、足許に何が横たわって居るのか、これを見逃しがちであったのではあるまいか。

(*中国山東省泰安市にある山。古来、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式(封禅)が行われた山として知られる。)

古代ローマのシーザーが天下を取るのに非常に大きな借金をしたことが記されている。言い換えればシーザーは借金によって天下を取ったことになる。この事は、シーザーが経済力の偉大さを利用して当時の人心を(なび)かせたことを意味する。

これに対し、かのナポレオンは世界史上優れた戦の名将であったにもかかわらず、何故ロシア遠征に失敗したかと云えば、経済上の援助が無かったからである。即ち当時のフランスのブルジョア階級がこぞって反対の行動に出たのみならず、経済上の援助を惜しんだからである。

2. 従来我が国の歴史家は、あまり経済とか通信とかいうものについて深く触れて来なかった。ほとんど全ての歴史家は政治の歴史か、戦争の歴史を叙説するか英雄偉人の伝記を記したに過ぎない。源平壇ノ浦の海戦しかり、戦争と政治の歴史の力説である。

"群盲象を評す"の寓話のように一つの表れのみをもって、全体を見逃しては間違いが生ずる。例えば英雄が社会を作るのか、社会が英雄を作るのかと問われれば、私は疑いもなく"時代と社会が英雄を作る"と信ずる。英雄の伝記の歴史をもって満足することはできない。その時代と社会を知らなければ、本末転倒と考える。

しかしながら、その時代と社会を考えただけでは未だ真にその時代の実態を突き止めたということはできない。何故ならその時代、その社会に潜在的に流れる根強い真の力「アンダーカレント」があるからで、これを認識せずに議論することはこれまた本末転倒となる。

人類の歴史において経済行為を離れて、経済生活を除いてどこにその歴史が考えられようか。私は、経済生活というものが真に人間を動かした力であって、人を動かすものは決して権力ではなくて経済力と思う。

人類の文化といい、善政、悪政という全てこれらの歴史上の問題は、その時代の経済観念を前提とせずに論議することはできない。

3. 我が国の歴史上、最も著しく文化の栄えた時代は飛鳥朝、奈良朝の時代であったが、何故この時代がかくの如く平和でしかも芸術の百花繚乱時代を演出したかと云えば、それはその時代における経済社会に安定があったからである。

なお、王朝時代に度々、遷都が行われたのは、表面的には政治上の理由からだが、その実際上の理由はその時代の経済の実権を握っていた商工業者の希望によって行われ、その勢力によって左右させられた結果である。

4. 源頼朝という人は、なかなか計数に明るいひとで、彼はよく通信連絡による団結の必要を認識していた。それで彼が伊豆に兵を挙げた時、京で義経が、木曽で義仲が旗を挙げた。各地の源氏はこれに相響応したのである。

頼朝が天下を治め、人心を治めることができたのは、経済上の問題を根強く設けたことによる。

5. 南北朝の争いにおいて南朝側が敗れた一番の原因は、南朝側が常に大義名分のみに拘泥して人間の心の本当に動くものは何によるかということを考えなかったから。

社会の原動力たる経済的力に対し徹底的な信念を持った者がなく、(たか)(うじ)の如く巧みに人心の機微を察し、多数の味方を得ることに努力しなかった結果と云える。

かくして、経済力というものはわれわれ人類の歴史が始まって以来、今日に至るまで、各時代を通じて一貫した強い流れであって、今までの史家が躍り出た役者のみに眼を注ぎ、その背景たる舞台をなおざりにし更にその舞台を編成するに至った潜在的力をその場限りで心に留めないのは全く誤った行為である。

◎鈴木商店関連資料「経済野話」(原文・e-book)

関連資料

  • 泰山・玉皇頂(1,545m)
  • ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)
  • ナポレオン・ボナパルト

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