後藤勝造

金子直吉と後藤新平の絆は後藤勝造の橋渡しから始まった

嘉永元年(1848)年、信州・長野に生まれた。横浜で外国貿易実務を経験した後、神戸の回漕問屋「松尾松之助」に入店。明治9(1876)年、店主・松之助が逝去すると同店は廃業。翌明治10(1877)年、後藤勝造は蒸気船問屋「後藤勝造本店」を創業し、松尾家ゆかりの「マツ」を図案化して「まるま」を社章に掲げ回漕業をスタートさせた。

本業の回漕業の他、旅館業にも乗り出し、勝造の経営する「後藤旅館」にたまたま宿泊した後藤新平と知り合ったことから台湾への回漕業進出を果たし、事業を一気に拡大する。後藤勝造は、鈴木商店店主・鈴木岩治郎と並ぶ神戸財界の名士となる。

鈴木岩治郎が後藤勝造と面識があったことから、岩治郎没後、台湾の樟脳に商機を探っていた金子直吉は、民政長官・後藤新平への橋渡しを勝造に要請し、台湾とのビジネスが展開する。

後藤勝造の「後藤旅館」には、その後も後藤新平が度々宿泊しており、後藤新平の発案で「自由亭ホテル」と名を変えた。さらにその後、新館を増築して「みかどホテル」と再度改称している。
一方、事業拡大で本店社屋が手狭になった鈴木商店は、かねてより神戸市内に物件を探していたところ、大正5(1916)年、後藤勝造よりみかどホテルを買い取り鈴木本店とした。勝造は、これ以降ホテル業から撤退した。

みかどホテルを改修した鈴木商店本店社屋は、大正7(1918)年の米騒動による焼打ちで焼失するまでその飛躍の舞台となった。

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