鈴木商店の商品シリーズ①「砂糖の話」

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「神戸外国商館取引から明治期の洋糖業界を牽引した鈴木商店」

鈴木商店の創業の原点となる砂糖は、明治期に入り安価で良質の洋糖が普及し我が国の砂糖市場は急速に拡大した。 

和糖に代わって欧州甜菜白糖、香港、清国本土、フィリピン、ジャワなどの洋糖が輸入され始めるのは明治5,6(1872,3)年頃であった。洋糖引取商として鈴木商店が糖業界に華々しく登場したのは、正に国内市場に洋糖が普及し始めた時期であった。

洋糖のうち、本格的に市場に登場したのは「香港車ほんこんくるまとう」で、次いで「欧州甜菜糖」であった。「車糖」とは、機械製糖による精白糖のことで"ソフトシュガー"といわれる。香港車糖の代表的な生産者は、ジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson & Co. Ltd)系の「中華火車糖局(China Sugar Refining Co.)」とバターフィールド・エンド・スワイア商会(Butterfield & Swire)系の「太沽糖房(Taikoo Sugar Refining Co., Ltd)」であった。

日本市場へはジャーディン・マセソン糖が先行し、明治7,8(1874,5)年頃から進出し、やがて神戸居留地107番に直接商館を開設する。次いで明治17(1884)年頃に神戸居留地118番のフィロンセー商会がバターフィールド・エンド・スワイア糖を輸入始め、二大香港車糖が出揃う。鈴木・藤田の両辰巳屋をはじめ有力引取商がこれら外国商館からの買い付けを本格化する。

明治25,6(1892,3)年頃より欧州甜菜糖が出回り始め、明治28(1895)年頃よりは香港車糖を圧倒するようになったが、鈴木商店の引き受けが増大したことに起因する。ドイツ甜菜糖、ハンガリー甜菜糖、ロシア甜菜糖等が輸入されたが、ハンガリー甜菜糖の主な引取商は、鈴木商店など丸五商会5社、ロシア甜菜糖は、鈴木商店と岩井商店(大阪)であった。

砂糖の原料には、サトウキビ、テンサイ(サトウダイコン)、サトウカエデ、オウギヤシ、スイートソルガム等があるが、現在では70%以上がサトウキビより作られる。また、砂糖の種類は、「分蜜糖」と「含蜜糖」に分かれ、それぞれに以下の種類がある。

分蜜糖(結晶と蜜を分離):精糖―精製糖>  ザラメ糖(白双糖、中双糖、グラニュー糖*2)、車糖 (上白糖*1、三温糖)、加工糖 (角砂糖、氷砂糖、粉砂糖、顆粒状糖)

含蜜糖(結晶と蜜を分離しない):黒砂糖、白下糖、赤砂糖、和三盆*3      

*1上白糖:日本の砂糖消費の半分以上を占める。日本独特のものでヨーロッパ、アメリカでは殆ど使われていない。 *2グラニュー糖:世界的に最も一般的な砂糖。  *3.和三盆:サトウキビの糖液から精蜜を分離して作る日本の伝統的な製法で作る淡黄色の砂糖。和菓子の原料として使用される。徳島、香川で作られている。  

鈴木商店は、合名会社に改組した後、明治42(1909)年より「鈴木商店商報」を、明治43(1910)年4月17日より「鈴木商報」を月3回定期的に発行。砂糖相場を中心に商況解説、入札報告、海外通信、紀行文等を掲載した。鈴木商店の多角化に伴い、砂糖以外の商品についても市況を解説するようになった。

鈴木商店商報、鈴木商報

  • 砂糖の結晶
  • サトウキビ
  • 甜菜

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