日比製錬所煙突(現・日比製煉)

 鈴木商店は、大正4(1915)年玉野市の日比製錬所の経営権を取得し、翌大正5(1916)年、日本金属(株)を設立し、彦島(下関)製錬所と共に日比製錬所として稼働した。溶鉱炉とそれに付属する大煙突を建造。

 日比製錬所の煙突は、鈴木時代に建設された初代から現在、稼働する第3代まで3基建造され、それぞれ"太郎煙突"、"次郎煙突"、"三郎煙突"の名で呼ばれたが、初代太郎煙突は、第2代煙突が建設される際、撤去される予定のところ地元の強い要望により残され、3基の煙突は、玉野市日比のランドマークとして親しまれている。(日比製錬所は、令和2年三井金属鉱業の100%出資により「日比製煉(株)」として生まれ変わりました。)

  • 日比製錬所溶鉱炉跡と大煙突(大正時代の建設)
  • 日比製錬所煙突
  • 日比製錬煙突の夜景

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