クロード式窒素工業の歴史②

アンモニア合成の企業化が相次ぐ中、鈴木商店はクロード法の特許権を買収する

第一次世界大戦中から戦後にかけて、空中窒素固定法によるアンモニアの直接合成・合成硫安生産の企業化はわが国の企業家最大の夢であった。海外技術導入の努力、国内での自主的な研究による陣痛期を経て大正12(1923)年10月、他社に先んじて野口(したがう)率いる日本窒素肥料が、宮崎県延岡にイタリアのカザレー法によるわが国最初のアンモニア合成工場を完成する。

当時、鈴木商店のロンドン支店長・高畑誠一もアンモニア合成技術に強い関心を持っていた。大正9(1920)年頃、ロンドンのエコノミストやフィナンシャル・タイムズといった雑誌や新聞でドイツが第一次世界大戦直前に開発した空中窒素固定法の記事を見た高畑は、その技術を日本へ導入できないものかと考えていた。そこへ思いがけず「空中窒素固定法の技術を知っているから、斡旋してやろう」という男が現れた。

その男は鈴木商店ロンドン支店の取引先で、ヘンリー・ガーデナーという非鉄金属関係の商社の社員であった。その男が、フランスの大手化学メーカーのレール・リキッド社がクロード法の特許権を保有しているからコミッションさえくれれば、技術導入の橋渡しをしてやるということであった。

高畑は彼の紹介で、パリに何回か赴き、レール・リキッド社の社長、支配人らとも面談した。当時ジョルジュ・クロードのアンモニア合成工場では、調子のよい日にかすかにアンモニア臭がする程度の揺籃(ようらん)技術であったが、金子直吉はクロード法の特許に関する高畑の書簡を受取るや、他社に先駆けるべく直ちにゴ―・サインを出し、鈴木商店はその特許権を購入することとなった。

ジョルジュ・クロードはアセチレンガスの安全な輸送法、液体空気の量産法、鉄製錬への液体酸素の利用法などの発明者でもある。クロードは世界初のハーバー法によるBASF社の工場(ドイツのオッパウ)が大正2(1913)年9月から日産30㌧にて本格的に運転を開始していることに触発され、大正6(1917)年、独自の超高圧合成の開発に着手。大正10(1921)年、パリの西南のモントローのグランド・バロアス社に日産5㌧の試験工場を建設し、アンモニアの合成に成功する。

200~350気圧によるハーバー法では水性ガスが合成管を通過する際、アンモニア化される量は全体量の12%程度にすぎず、未合成の残りのガスは何回もくり返して合成管を通過させる必要があった。

これに対してクロード法では、他のいかなるアンモニア合成法も採用しなかった1,000気圧という超高圧を利用して、一度に27%程度をアンモニア化することを実現した。すなわち、一度のアンモニア合成量がハーバー法の2倍以上に達するわけである。この格段の効率性こそ、鈴木商店が起死回生の事業として大いなる期待をかけたところであった。

クロード法はその合成率の高さから、工場の固定費も少なくすむ。また、ハーバー法は年産10万㌧規模でないと採算がとれないといわれ、かつ特許料も1,300万ドル(6,800万円)と高くついた。アンモニアの需要がやっと緒についたばかりの当時にあっては、鈴木商店としてはまずは中規模試験のプラントでスタートして、製品の市場開拓に着手することを目指し、割安なクロード法を採用したものと思われる。

鈴木商店がレール・リキッド社に支払う特許料は50万ポンドに決定したが、金子から高畑へは半分の25万ポンドしか送金されなかった。鈴木商店の資金繰りはこの頃からかなり苦しくなっていたのである。残りの半分はどうしても都合がつかないため、高畑はこの不足分を自ら砂糖の取引で儲けて貯めておいた資金から支払った。大正11(1922)年初、鈴木商店はレール・リキッド社とクロード法の特許使用に関する契約を締結した。 

レール・リキッド社との特許使用契約の範囲は次の通りであった。

①クロード式空気分離法...空気を30気圧に圧縮し、断熱膨張により液化分離して純N₂(窒素ガス)とO₂(酸素)を採取する。
②ターリー式水素製法...ターリー式による石炭水性ガス化および断熱膨張により水素を分離する。
③クロード式アンモニア合成法...3対1のH₂(水素ガス)とN₂の混合ガスを1,000気圧に圧縮し、クロード式合成管にて無水アンモニアを合成する。
④製造および販売の権利...日本を含む全東洋地区
⑤特許権の譲渡金額...500万円
⑥設備代金...200万円

その後も、大正12(1923)年には大日本人造肥料(現・日産化学工業)のファウザー法(イタリア)、昭和6(1931)年には昭和肥料(後・昭和電工)の東工試法(日本)、住友肥料製造所(現・住友化学工業)のNEC法(アメリカ)、昭和12(1937)には日本タール(後・三菱化学工業)のハーバー法といった具合に、第二次世界大戦終結までに国内18工場、朝鮮1工場、満州2工場が建設・計画され、わが国はさながら世界アンモニア合成技術の博覧会的様相を呈していく。

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