帝人設立の歴史①

樟脳からセルロイド・人絹へ、日本セルロイド人造絹糸(現・ダイセル)の誕生

世界で初めて人絹(人造絹糸・レーヨン)が生産されたのは明治25(1892)年のことである。フランスの科学者シャルドンネが、パリ万国博覧会で大賞を得た後に世界最初の人絹製造工場を建設し操業を開始。その翌年に英貿易商のリネル(元・高知藩校の教師、後に神戸の居留地14番館で貿易商を営む)が初めて日本に人絹を取り寄せた。そして神戸を拠点としていた鈴木商店の金子直吉も人絹に出会うことになる。

金子が人絹に興味をもった理由は、当時は鈴木商店が樟脳の取引拡大を目指して台湾に進出した頃であり、樟脳からセルロイドそして人絹が製造できることに着目したためである。

台湾樟脳局神戸出張所には我が国樟脳界の先駆者である松田茂太郎(後・日本セルロイド人造絹糸専務取締役、帝国人造絹糸監査役)がいた。その松田が退官して郷里の宮崎に帰ろうとしていたところを、金子が鈴木商店に入社させ「旅費を出してやるから西洋に行ってセルロイドと人絹を研究しろ」と欧米に出張させる。

一方、セルロイド輸入大手の岩井商店(後・日商岩井、現・双日)も、英国のブリティッシュ・ザイロナイト社のマンセルから台湾樟脳を活用したセルロイド生産計画の打診を受け、台湾総督府に樟脳の払い下げを依頼すると、松田茂太郎を紹介される。

こうして鈴木商店の金子直吉と岩井商店の岩井勝次郎は、松田茂太郎を起用してセルロイドの合弁事業を推進することを決意する。金子は日本郵船社長の近藤廉平に社長就任を打診し、近藤は「おれは郵船(日本郵船)の社長だから、この上にもう一つ社長はだめだ」ということで、会長として就任を引き受ける。そして明治41(1908)年、鈴木商店、岩井商店、三菱の3社の合弁にて兵庫県揖保郡網干町(現・姫路市網干区新在家)にセルロイド製造工場(現・ダイセル)が建設された。

しかし三井物産の益田孝が堺に同じく堺セルロイド(後に大日本セルロイドに合流)を建設することとなったため、供給過剰懸念から金子は近藤にセルロイドではなく人絹の製造を優先するよう提言する。しかし、「どうしてもセルロイドでいく」という近藤の猛反対にあい大激論となり、結局セルロイドの生産を優先するものの、社名は「日本セルロイド人造絹糸」(現・ダイセル)とし、定款上にも人造絹糸を合わせて製造することが書き込まれることとなった。

金子は「日本セルロイド人造絹糸」の工務部長・西田博太郎(後・専務取締役)に命じて、人造絹糸製造の研究に当たらせた。また専売局の技師・河合勇が渡欧する際にも資金を与えて人絹の研究を依頼するなど人造絹糸製造への想いを一層強くしていくのであった。

外部リンク:ダイセルホームページ

ダイセルの創業前史

セルロイドに関する歴史資料が「化学遺産」に決定

  • 明治10年頃の神戸外国人居留地
  • 松田茂太郎
  • 日本セルロイド人造絹糸網干工場の 1号ボイラー(現在)

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