⑥王子・飛鳥山の渋沢邸

渋沢栄一の要請を断る

鈴木商店は大日本製糖(日糖)に対抗するため、製糖所を北九州の大里に設立。その後、日糖側から買収を持ちかけられて、鈴木商店は650万円で大里製糖所を手放した。その後、日糖は製糖事業を官営にし、政府に売却し利益を得ようと企み、議員に金を送り、これが明るみにでて大疑獄事件(いわゆる日糖事件)に発展。そして多数の逮捕者が出て、酒匂社長は自殺。大日本製糖は世間の批判にさらされ、経営危機に陥いる。

鈴木商店は大里製糖売却時に、250万円を現金で、400万円を社債で受け取っており、大口債権者であった。(日糖の全負債総額は1,226万円) 酒匂社長は自殺する前に金子に社長就任を要請するも金子は断り続けた。そして財界の大御所で大日本製糖の顧問であった渋沢栄一も金子直吉を王子の飛鳥山にある渋沢邸に招待し、再度社長就任を要請する。しかし、金子は、「鈴木は日糖の大債権者である。私が整理にあたるのは原告と被告が一緒になるようなものですからお断りします」と帰ってしまった。断った背景として、当時神戸製鋼所の再建に忙しく、一方で大日本製糖の乱脈経営により再建までは長期の時間を要すると感じたためである。

結局渋沢は藤山雷太に再建を託す。金子は、400万円の社債を2年間据え置き、10年間の年賦払いという再建案を了承した。

  • 王子・飛鳥山公園内の「旧渋沢家飛鳥山邸」の案内板
  • 王子・飛鳥山公園の一部に残る「晩香廬(ばんこうろ)」(渋沢栄一の喜寿の祝として贈呈された(大正6(1917)年竣工))

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