④-(2)佐賀市歴史民俗館(旧古賀銀行、旧古賀家住宅)

古賀善兵衛 が創業し、三代目・善兵衛により九州五大銀行に発展した古賀銀行

旧古賀家は、初代善兵衛 が営んだ呉服営業に始まり、二代目善兵衛の代に資財を築いた。明治18(1885)年、二代目善兵衛は呉服業を廃業して資本金5万円の古賀銀行を創立し、業容を拡大するも取り付け事件に遭遇、資産を全て失う。炭坑業により窮地を脱した善兵衛は、古賀銀行を再建し資本金を一挙に50万円に増額するに至った。

三代目善兵衛は、古賀銀行から行名変更した佐賀銀行取締役を経た後、明治40(1907)年11月、先代より善兵衛を襲名し同時に佐賀銀行頭取に就任。業容発展に伴い、 大正2(1913)年資本金を150万円に増額し、同時に行名を再び古賀銀行に戻した。大正8(1919)年頃には、九州の5大銀行のひとつに数えられるまでに成長。 

三代目善兵衛は、佐賀実業家として伊丹弥太郎、吉田久太郎、古賀製次郎、野口能毅(佐賀市長)とともに佐賀紡績の設立発起人会に加わり、その実現に尽力した。(大正5年3月30日付 福岡日日新聞)            

古賀家住宅は、古賀銀行を創設し頭取を務めた二代目古賀善兵衛の居宅として明治17(1884)年に銀行本店の東隣に建てられた。古賀銀行開業に先立つ明治17(1884)年、この住宅を建てたと伝えられる。周りに門と塀を巡らした白漆喰仕上げの近代和風住宅で、西隣の銀行本店と一体となって残される点に価値がある。

その後も古賀家三代目・善兵衛が居住し、黒漆喰仕上げの玄関や西側の煉瓦塀は大正期に改築されたが、銀行の解散後は古賀氏の手を離れ、昭和29(1954)年からは料亭として使われていた。

平成3(1991)年に佐賀市の所有となり、料亭時代に増改築された部分が建設当初のものに復元され、4年後の平成7(1995)年3月22日に佐賀市重要文化財の指定を受けている。

古賀家住宅は、当初は洋風を模した漆喰仕上げの外観だったが、大正5(1916)年に西側へ大きく増築され、木造ながら二つの塔屋を備えたタイル張りの外観と堂々とした吹き抜けを備えた今の姿が生まれた。佐賀市の建築家、舟木右馬之助の設計で、佐賀市に残された数少ない本格的洋風建築として貴重な建物。

大正15(1926)年、古賀銀行は恐慌により休業に追い込まれ、その後は商業会議所、労働会館などとして改装された。現在、歴史民俗館として大正5(1916)年当時の姿に復元されている。古賀家住宅とともに平成7(1995)年3月22日に佐賀市重要文化財の指定を受けた。


関連資料

  • 旧古賀家住宅
  • 旧古賀銀行
  • 三代目古賀善兵衛

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