⑨檜丸造船所

伝統的な「和船・木造船」専業の造船所

買収  大正6(1917)年                                                                    所在地 大阪市西区平尾町(現・大正区平尾1丁目) 木津川右岸

鈴木商店は、播磨造船所を買収した大正5(1916)年、鳥羽造船所を買収すると、翌大正6(1917)年には浪華造船所と和船・木造船専業の檜丸造船所を買収した。

第一次世界大戦最中の大正6(1917)年8月、アメリカが突然我が国に対し鉄材輸出禁止令の発令を伝えてきたが、船舶建造に使用する鉄材を欧米(主にアメリカ)からの輸入に頼っていた我が国にとって、この禁止令は我が国の造船業界にとって致命的な打撃であった。当時播磨造船所は多量の鉄材在庫を有していたが、厳しい前途に備えて極力鉄材の消費抑制に努めることとなり、木造船の建造を計画。

1,000総トン型木造運搬船3隻、190総トン型曳船2隻、合計5隻 3,380総トンの新造船を受注し、1,000総トン型3隻は檜丸造船所により建造した。

大戦の終結による反動不況を予想し事業再編を決意した鈴木商店は、大正7(1918)年、傘下の播磨造船所、鳥羽造船所、浪華造船所を鈴木の貨物輸送を担っていた「帝国汽船」に合併させ、造船・海運事業の一本化を図った。

浪華造船所は、その後の帝国汽船の事業縮小方針により大正8(1919)年に閉鎖されたが、檜丸造船所もほぼ同時期に整理されたものと考えられる。

  • 大阪大正区・木津川沿いの50社を超える和船造船所群

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