④鈴木商店小樽支店

辣腕支店長により道内に確固たる地歩を築いた鈴木商店小樽支店

鈴木商店が北海道の経済界に登場したのは、明治39(1906)年に小樽に駐在員を派遣したことに始まる。明治43(1910)年、小樽支店に昇格させ志水寅次郎を支店長として赴任させたことから志水の辣腕振りが発揮され、鈴木商店の北海道での飛躍的な発展に繋がった。鈴木商店小樽支店は、当初は堺町に置いたが、後に色内町(いろないちょう;現・色内町1丁目1-12)に移した。

鈴木商店が一手販売権を有していた大日本製糖(現・大日本明治製糖)の製品を、函館、小樽、札幌、旭川各地の有力砂糖問屋と特約店契約を結び販売網を確立。道内で消費する70%の砂糖を取り扱う実績をあげた。

また小麦粉については、鈴木商店が買収し志水支店長も役員に名を連ねた札幌製粉(現・日本製粉)の主力製品の赤星印、白星印を道内一円に拡販した。

さらに鈴木系列の日本酒類醸造(現・ニッカウヰスキー・門司工場)の焼酎を樺太、千島まで拡販したほか、小樽支店では樺太、カムチャッカ方面の漁場には鮭、鱒の塩蔵用に系列の大日本塩業の食塩を売り込み、需要の90%を取り扱った。

帝国麦酒(現・サッポロビール)の"桜ビール"を札幌ビールの地元に売り込み、道内で熾烈な競争を繰り広げたことも鈴木の名声を高めた要因といえる。

こうした食料品の他に肥料についても手広く取り扱っていた。系列の豊年製油(現・J-オイルミルズ)から満州大豆板粕や大豆粕を、英国・ブラナモンド社(現・ICI) の白色硫安を道内一円に販売したほか、小樽に直営工場として「雑穀澱粉精選工場(大正2(1913)年)」や「豆撰工場(大正8(1919)年)」を経営した。さらにこれらに関連して、輸出用豆類、澱粉の包装材として麻袋の取扱いでも大きな実績を残した。

鈴木商店が北九州・大里に建設した一大コンビナートの製品群を北海道一円に拡販した志水支店長の手腕により鈴木は、他商社を圧倒する実績を残した。新北海道史には、「・・・当時、三井物産や鈴木商店と取引できるということは、道内の卸商としては非常な誇りであったという。」と記されている。

  • 鈴木商店小樽支店(写真中央奥)のあった色内町の街並み(小樽市総合博物館所蔵)
  • 豆撰工場
  • 日本酒類醸造の焼酎甕(ニッカウヰスキー門司工場所蔵)

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