関門の鈴木商店ゆかりの企業訪問シリーズ⑧「下関三井化学(旧・クロード式窒素工業)」

下関三井化学の出発点であるクロード式窒素工業は、鈴木商店の金子直吉の国益志向の旺盛な事業欲とロンドン支店長・高畑誠一の先見性が生んだ事業で、人造絹糸の工業化に続く鈴木商店の起死回生の一大事業でもあった。

レール・リキッド社に50万ポンド(当時の500万円)の特許料を支払って獲得したクロード式合成アンモニア技術は、実用化には尚時間を要した。クロードの現地試験工場はまだ実験段階で、常時稼働してはいない状況であったという。

彦島工場の初代工場長織田信昭によれば、「彦島はあくまで試験工場であり、ここでの研究を基にして阪神地方に大工場を建設したい」とも漏らしていた。また一方では、鈴木商店はクロード式窒素工業設立直後に東京府知事に対し、"肥料製造営業免許願"を提出し直営製油所王子工場(現・日油・旧王子工場)内に工場設置を検討したようである。(幻のクロード王子工場)

クロード法アンモニア合成は、鈴木商店から継承した東洋高圧によって技術が確立され幾多の試練を経て軌道に乗った。さらにその後新たに確立したメタノール合成の生産を一元化して三井系化学工業が誕生した。鈴木商店の興したアンモニア合成事業は、わが国の重化学工業の先鞭をつける画期的な事業であった。

  • クロード式窒素工業創立時の煉瓦造りの変電設備は、現在も電気室として稼働。
  • 同上の変電設備建物の説明プレート
  • 安母尼亜(アンモニア)合成運転日誌(昭和3(1928)年2月1日~4月6日)

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