関門の鈴木商店ゆかりの企業訪問シリーズ ④日本グリース下関工場

日本グリース下関工場は、元々鈴木商店系の「旭石油」の敷地(油槽所)であったところに立地した工場で、現在でも煉瓦造の倉庫や鉄筋コンクリート造の煙突など往時を偲ぶ設備が平成26(2014)年9月段階でいくつか現存しています。ここで敢えて年次を切ったのには理由がありまして、この工場は9月を目処に閉鎖されることが決定しているからです。今回メンバー一同が訪れ、昭和13(1938)年時点の図面を拝見することで、旭石油時代の設備が遺っていることが改めて確認できました。

今回鈴木商店記念館の編集委員一行が訪れたのは、そもそもこの日本グリースの工場が閉鎖されるという話があったからでした。跡地はこれまた鈴木商店の流れを引く会社である昭和シェル石油(現・出光興産)の手によって太陽光発電所が作られるとのこと。海沿いのメガソーラーが関門エリアの新たな名所となってくれればと願っています。

<日本グリース沿革>

鈴木商店系の旭石油(後に昭和シェル石油、現・出光興産)が、昭和16(1941)年に特殊グリース類の製造のため設立した「日本特殊グリース」(本社大阪)が前身。東京、大阪、神戸、広島、門司、小倉、飯塚の7工場にて操業。昭和26(1951)年、日本グリースに改称。

昭和34(1959)年、昭和石油(後に昭和シェル石油、現・出光興産)彦島グリース工場を譲り受け、下関工場として操業開始。昭和45(1970)年、昭和石油彦島油槽所を譲り受け、下関工場を新設移転。平成26(2014)年、下関工場閉鎖。

現在、本社は横浜鶴見区と大阪中央区船場の2本社制、製造品目はグリース、熱処理油、金属加工油、防錆油、特殊潤滑油などで、自動車、鉄鋼、軸受け等幅広い分野で使用されている。                                                               

                                                                     

  • 日本グリース下関工場正門
  • 日本グリース下関工場(昭和34(1959)年当時)
  • 長崎英造・旭石油社長

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