(A)-③辰巳屋旅館

炭砿幹部の会合の場として重要な役割を担う

築別炭砿駅を降りてすぐ、「辰巳橋」の手前の右側に辰巳屋旅館はあった。今少し詳しく説明すると、築別炭砿駅前商店街の交番(築別炭山駐在所)と築別炭山郵便局に挟まれた場所に位置していた。

名称は「辰巳橋」と同様、かつて鈴木商店の先代・鈴木岩治郎が番頭として働き、その後鈴木商店が暖簾を譲り受けた「辰巳屋」の屋号に由来するものであるが、青山芳雄著「随筆 夢遥かなる羽幌炭砿」によると、命名の経緯は以下の通りであるらしい。

『昭和15(1940)年前後の炭砿開発に着手する前、太陽産業羽幌鉱業所支配人として着任していた町田叡光(後の第二代社長)が羽幌町に宿泊し、たまたま「銀河」という飲み屋を訪れ、築別の山を案内してくれる人はいないだろうかと尋ねたところ、その店の店主・西田源作が案内役を引き受けることになった。こうした縁によって、西田家は築別炭砿駅前に旅館を開業することとなり、その名称は「辰巳屋」になった。』

辰巳屋旅館は炭砿幹部の会議や打ち合わせの場として広く利用され、また炭砿を訪れる関係者の宿泊場所でもあった。度重なる労働争議(ストライキ)の際にも、会社側の会合の場となった。このように、創業時の会社にとって辰巳屋旅館は、なくてはならない貴重な存在であった。

  • 中央左の「すももの木」のあたりに辰巳屋旅館はあった(平成26年10月)
  • 辰巳屋旅館の玄関口(当時)
  • 冬の辰巳屋旅館の全景(当時)

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