築炭会館

ヤマの娯楽・文化の殿堂

昭和25(1950)年に起こった共産党色が濃くなった組合員による労働争議(1カ月におよぶストライキ)を最後に、炭砿は労使一体となって本格的な合理化と技術革新によりコストダウンをはかるとともに、出炭量の増加に邁進して行った。

炭砿の発展とともに、住居、文教施設、体育施設などの福利厚生面も徐々に充実していった。さらに会社は従業員や家族の慰労にも力を入れるようになった。これに伴い、人々の生活にも余裕ができ映画、観劇、音楽、スポーツなどが楽しめるようになった。

このような状況の中、昭和27(1952)年10月10日に築炭会館が完成した。それまで末広町にあった会館とは名ばかりの建物から一転、都会の劇場・映画館と変わらない近代的な施設の誕生であった。収容人数は500人。同年10月10日の落成記念行事では、NHKのど自慢大会、三番叟、楽団演奏などが披露され、昼夜ともに超満員であった。

同会館では毎日昼夜2回、2本立ての最新の映画が上映されたほか、会社の記念行事、炭砿(ヤマ)の各芸能グループの発表会、講演会なども行われ、ヤマの「娯楽の殿堂」、「文化の殿堂」ともいえる存在であった。

同会館には有名な俳優・歌手・タレントが数多く来山している。杉村春子、加藤治子、仲谷昇らを中心とした文学座の公演、宝塚歌劇団「雪組」、「月組」の公演、三波春夫、ペギー葉山、藤島恒夫などの歌謡ショーなどが催された。

時をほぼ同じくして、羽幌本坑には「本坑会館」、上羽幌坑には「二坑会館」が建設された。

現在は築炭会館の映写室だけが残っており、わずかに当時の賑わいを偲ぶことができる。


  • 築炭会館映写室跡(平成24年5月)
  • 築炭会館(当時)
  • 築炭会館で行われた宝塚歌劇団「雪組」の公演(昭和36年)

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