曙小学校・曙中学校

84年にわたり曙地区の児童の教育を担い続ける

曙小学校は明治39(1906)年4月10日、教育所設置の指定を受け、翌11日に御料第二簡易教育所として開校した。校舎は新築せず、前年1年間私設教育所として使用していた納屋を仮に使用していたが、地区の有志の寄付をもって明治40(1907)年1月19日、木造31坪の校舎を新築した。このころの児童数は10名ほどと推定される。

明治41(1908)年3月、苫前郡第二教育所に改称。大正5(1916)年4月26日、築別御料尋常小学校に改称。

大正6(1917)年、当地区には34、5戸が存在したが当時小学校に通う低学年についは悪路、遠距離のため、特に冬期間の通学を考慮して毎年11月から3月の間、特別教授所を開設。費用は関係住民が一切負担した。この特別教授所による授業は昭和11(1936)年に閉鎖されるまで続けられた。

大正10(1921)年4月1日、曙尋常小学校に改称。大正13(1924)年4月の児童数は68名を数えた。昭和16(1941)年4月1日、曙国民学校に改称。昭和22(1947)年4月1日、曙小学校に改称。

昭和26(1951)年2月1日、羽幌本坑の事業拡張に伴い三毛別地区の児童が急増したため、曙小学校は羽幌砿業所内に低学年用のバラック建ての三毛別分教場を設置。同年12月1日、同地区に旭ヶ丘小学校が開校したため、この分教場は廃止された。昭和38(1963)年4月には児童数が132名まで増加。

曙中学校は昭和24(1949)年7月1日、太陽中学校曙分校として開校。3学年合わせて32名を曙青年会館の一室(12坪)に収容し授業を開始。

昭和28(1953)年6月1日、太陽中学校曙分校が独立し、曙中学校として曙小学校に併置された。                                                    

昭和39(1964)年9月30日、曙中学校は旭ヶ丘中学校の火災(全焼)を契機とする同中学校との統合(翌10月1日、北辰中学校開校となる。)のため廃止され、新設校舎完成までの経過措置として統合中学校曙分校となった。翌10月1日、北辰中学校曙分校に改称。この北辰中学校曙分校は昭和40(1965)年3月31日に廃止された。

※北辰中学校は昭和40(1965)年1月12日、羽幌本坑の北辰町に新校舎が完成し移転。昭和46(1971)年5月10日には生徒数の急減に伴い、同年3月に廃校になったばかりの太陽高等学校跡に校舎を移転した。

昭和50(1975)年4月、曙小学校は校舎の老朽化が著しく、校舎を同年3月31日に羽幌中学校に統合され閉校した北辰中学校跡(旧太陽高等学校校舎)に移転した。                                     

曙小学校は羽幌炭砿閉山後は児童数の減少が続き、昭和61(1986)年から平成元(1989)年にかけての3年間は入学者がゼロとなり、平成2(1990)年3月31日に閉校。翌4月1日に幌北小学校に統合され、ついに84年の歴史に幕を下ろした。

  • 曙小学校の校舎と体育館跡[旧太陽高等学校跡](平成24年8月)
  • 曙小学校の校庭跡地にある石碑(平成24年8月)
  • 曙小中学校(当時)

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