羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑩「羽幌炭砿鉄道のディーゼルカー」

炭鉱の人々にとって待望久しかったディーゼルカー

昭和33(1958)年8月1日、羽幌炭砿鉄道に待望のディーゼルカーが登場し、1日5往復の運行を開始した。このディーゼルカーは元鉄道省の気動車42015からエンジン等を外して客車としたホハフ5に、再びディーゼルエンジンを搭載した羽幌炭砿鉄道初の気動車キハ1001である。定員は120人(座席数80)。改造したのは釧路製作所で、客車だった当時に中央の客用の扉が閉じられ2扉車となっていた。最高時速90km、平均時速50 kmで「築別炭砿駅―築別駅」間の所要時間は29分に短縮された。

その後、新型のレールバス(*)が導入された。この気動車は、昭和34(1959)年に富士重工業で新造されたキハ11である。南部縦貫鉄道のキハ10形の同系車であるが、南部縦貫鉄道の車両は側扉が2カ所にあったのに対し、キハ11は中央部の1カ所のみであった。ロングシートで定員は60人(座席数28)。このレールバスはその後増備された国鉄キハ22形ディーゼルカーの登場に伴い使用機会が減少し、昭和41(1966)年に運行中止となった。

(*)レールバスはバスなどの自動車の装備を流用し、もしくはそれをベースに造られた小型の気動車である。軽量で製造・運用コストが低いことから、比較的乗客の少ない路線へ投入された。

昭和35(1960)年から昭和41年(1966)にかけて国鉄キハ22形と同一仕様の3両(キハ221、222、223)が順次増備され、羽幌炭砿鉄道における旅客輸送の主力車両となった。いずれも本格的な寒冷地向け大型気動車(ディーゼルカー)で、富士重工業で製造された。運転台窓にワイパーの代わりに取り付けられた雪よけの「旋回窓」(*)が特徴である。

(*)鉄道車両や船舶などのフロントウインドシールド(主に操縦席・運転席の前面窓)の表面に付着した水滴や雪などを振り飛ばし乗員の視界を確保するための装置で、雪国の車両のシンボルともいえるもの。

昭和45(1970)年12月14日の羽幌炭砿鉄道廃止後、前記のディーゼルカー3両(キハ221、222、223)は茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に譲渡され、湊線で最後の勤めを果たした。キハ223は白地に赤・青帯の茨城交通色となり、平成21(2009)年7月26日の「さよなら運転」を最後に廃車となったが、幸いにも羽幌炭砿鉄道時代の色に復刻され同年12月、埼玉県さいたま市緑区の「ほしあい眼科」の敷地内に静態保存された。

キハ223 の車体側面の「羽幌炭砿鉄道」の文字のすぐ上のマ―クは、レールと鶴嘴(つるはし)を図案化した羽幌炭砿鉄道株式会社の社章である。キハ221は平成10(1998)年に廃車となり、平成21(2009)年に解体された。キハ222は平成26(2014)年12月6日に感謝イベントが開催され、通常運転を終了した。

昭和45(1970)年4月2日、日立製作所製の石炭車牽引用ディーゼル機関車DD1301が導入され運転を開始した。この機関車は総重量56トン、500PSエンジン2基を搭載。1,000馬力で蒸気機関車に比べ大幅にパワーアップし、石炭車30両を牽引する能力を有していた。しかし、この時羽幌炭砿鉄道の廃止(昭和45年12月14日)が目前に迫っていた。その後、このDD1301は日本製鋼所室蘭製作所に売却された。

羽幌炭砿にまつわる話シリーズ⑪「羽幌炭輸送専用船」

  • 気動車キハ223[ほしあい眼科に静態保存](平成26年7月)
  • 気動車キハ223側面の表示[於:ほしあい眼科](平成26年7月)

    上部のマークはレールと鶴嘴(つるはし)を図案化した羽幌炭砿鉄道(株)の社章

  • 気動車キハ1001(右)とレールバスキハ11(左)[於:七線沢乗降場](昭和37年頃)

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