⑪料亭 三宜楼

鈴木商店社員らも利用した料亭

明治39(1906)年、三宅アサにより創業された門司港の料亭「三宜楼(さんきろう)」は、業容拡大により昭和6(1931)年、木造3階建の建屋が建設された。現存する料亭建築として九州最大級の木造建築で、平成26(2014)年に保存改修された。

明治後期から戦前まで国際貿易港として、また大手商社や金融機関の進出、石炭産業の隆盛で不夜城といわれた門司港は、最盛期には40を越える高級料亭が軒を連ねた。そのなかの代表格のひとつが三宜楼であった。

高浜虚子や出光佐三、地元の名士、国内外の文人経済人が利用した。当時の地元紙「門司新報」によれば、明治39(1906)年頃より三宜楼の記述があることや、「百畳間」といわれる大広間の緞帳には帝國麦酒の商品であるサクラビールの宣伝が見られたところから、旧鈴木商店も大いに利用していたに違いない。

戦後になり門司港の衰退とともに廃業されたが、平成19(2007)年地元有志の募金活動により土地を取得、北九州市に無償譲渡した。北九州市はこれを受け、3階建和風建築物は門司港レトロ事業の新たな観光資源になるとして改修に着手した。

1階は地元料亭が入り、2階大広間は、邦楽、舞踊などの文化施設として活用する。

  • 三宜楼
  • 「サクラビール」の名と商標マークが記された大広間の緞帳
  • 出光佐三がよく利用した和室(改装中)

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