関門の鈴木商店ゆかりの企業訪問シリーズ ⑤前田組 

鈴木商店の関門地区のコンビナート建設に貢献

前田組は、鈴木商店が関門地区に展開したコンビナート建設に深く関わった企業であったが、大正末期に廃業したため、関連資料がほとんど残されていない。鈴木商店の飛躍とともに事業を拡げたが、大正後期の世界的な不況到来を予期して一切の事業から撤退したためである。

前田組の創業者・前田金次郎は、万延元(1860)年に前田又吉の長男として、福岡県企救郡大里町(現在の北九州市門司区大里本町)に誕生。父親の又吉は、小倉藩出入りの大工の棟梁で苗字帯刀を許された家柄だったという。

7人兄弟の長男として家業を継いだ金次郎が弟たちと「前田組」を大里の地に創業した時期は不詳だが、明治36(1903)年から始まる鈴木商店の関門進出当初より工場建設に携わった。とりわけ「お家さん・鈴木よね」の信任厚く、大里製糖所(現・大日本明治製糖)、大里製粉所(現・日本製粉)、帝国麦酒(現・サッポロビール)、日本酒類醸造(現・ニッカウヰスキー門司工場)、日本金属・彦島精錬所(現・彦島精錬)の建設を相次いで請負った。

これらの工場群はいずれも煉瓦造りで、大里製粉所の社屋は建築的に珍しい木筋木造6階建ての建物であり、帝国麦酒の建物は、製鉄所から出る鉱滓煉瓦造りのユニークな建築物である。大里製粉所建設に際し、上棟式に関係者に配布したメモ資料には、請負人として前田金次郎の名前が技師長・米田龍平、設計技師・林栄次郎他と共に記載されている。また、米田が愛車に乗り、関係者と撮ったスナップ写真にも前田の姿が写っている。

前田組は、第一次世界大戦による未曾有の戦時景気に乗り、業容を一気に広げ、自前の釘工場や製材所を所有し、自前の運搬船により資材の調達をするほどに発展した。この時期、鈴木商店の大里、彦島の工場群の建設に関わった協力業者に港湾荷役業務を専門とする「池田組」があったが、大正末期に前田組が撤退した後は池田組が建築に比重を移し、帝国人造絹糸をはじめ鈴木系企業の建設を請け負うことになった。

前田金次郎ならびに前田組の足跡は今ではほとんど見ることができない。わずかに門司麦酒煉瓦館にかつて前田組が鉱滓煉瓦を組んで建設した帝国麦酒の雄姿を見ることができる。さらに地元大里の戸上神社には、その改修に際して度々寄進した前田金次郎の石柱が幾つか残されているが、大正末期の改修時には前田金次郎と池田組・池田源次の名が刻まれた石柱が帝国麦酒を挟んで残されている。


  • 晩年の前田金次郎
  • 創業時の大里製粉所(明治44(1911)年当時)
  • 戸上神社に残る石柱(右から池田源次(池田組)、帝国麦酒、前田金次郎)

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