⑭旅館水月

播磨造船所とともに賑わった老舗旅館

水月は明治46(大正2・1913)年に創業し、大正・昭和の相生を代表する旅館であった。

明治45(1912)年1月、船渠が完成し岡崎汽船の日英丸に続いて、巨船が相生湾に姿を現した。翌年、水月が創業、水月は相生の造船所とともに歩む旅館となった。大正5(1916)年、鈴木商店が進出して播磨造船所を拡張すると、相生には多くの旅館やアパートが建てられたが、水月は造船所の迎賓館のような役割を果たす格式のある存在であり続けた。

水月の近くに造船所への渡船が出る桟橋があった。朝夕は汽船の曳く渡船が従業員を運び、昼間は手漕ぎの舢舨(さんぱん)が往復していた。

「水月旅館前で馬車を降りた上品な一老婦人があった。そこには、舢舨が横付けされて待っていた。舢舨には二人の船頭が乗り込んでいて、丁寧に老婦人を迎え入れるような態勢にあった。気軽に舢舨に乗り込んだ老婦人が『ご苦労さんです』と声をかけたのを合図に、船頭が船を押し出す。ほどなく舢舨が向岬桟橋に着くと、船頭はもやいをとって桟橋につける。老婦人は手にした巾着の紐をゆるめて中から五十銭銀貨を二枚とり出すと『ご苦労さまでした』と無雑作に櫓をおいた船頭に渡した。この老婦人が、造船所の鈴木よね社主であった」という体験談が伝わっている。

昭和30年代の造船ブームまで、水月は相生の老舗旅館として賑わったが、造船所の繁栄が去るにつれていつしか姿を消した。和風の本館は取り壊され、洋風近代建築のエントランス部分が寂しく残っている。

  • 旧水月のエントランスであった洋館
  • 大正時代 水月付近の相生港
  • 大正時代の舢舨 対岸右端が水月

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