「太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史③」を掲載しました。

2022.8.21.

太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史を紹介する3回目です。

yanagidahikoji2.PNG太陽産業科学研究所(兵庫県武庫郡本庄村青木(おうぎ))で希少金属(レアメタル)の研究に携わっていた柳田彦次所長(柳田富士松の次男)は、東北の地でチタンの生産に従事する「東北チタン工業所」に興味を抱くと、経営陣に(はか)り積極的に買収工作を進めました。

その結果、太陽曹達は昭和12(1937)年12月、同工業所を買収して「仙台チタン工場」とし、以後宮城、福島県下の海岸の3鉱区より採取したイルメナイト(チタン鉄鉱)を主原料として低炭素フェロチタン(鉄とチタンの合金)の生産に従事することとなりました。

時あたかも日中戦争の勃発直後であったことから、仙台チタン工場は海軍の指定工場となり、以後終戦までフェロチタンの生産を継続しました。この仙台チタン工場の歴史の中で、忘れてはならないのが東北大学金属材料研究所の存在です。

仙台チタン工場のフェロチタンがネオKS鋼(東北大学の本田光太郎博士が発明)に採用されたことを契機に、東北大学金属材料研究所と仙台チタン工場の協力体制が深まり、戦後、同工場はフェロボロン、フェロチタンボロンなど新合金生産に際し同研究所の指導を受けるなど数多くの恩恵に浴しました。

そんな状況下において、海軍当局からモリブデン開発の要請を受けた太陽産業(昭和14年、太陽曹達から社名変更)は、まず大川目(おおかわめ)鉱山(岩手県九戸郡大川目村)の開発に着手し、「大川目鉱業所」を開設してモリブデンの鉱石である輝水鉛鉱(モリブデナイト)の採取にとりかかりました。同時に輝水鉛鉱の(ばい)(しょう)とフェロモリブデンの製造のため昭和14(1939)年、「赤穂製鉄工場」(後・赤穂工場)[兵庫県]の建設に着手しました。

また、戦後太陽鉱工(太陽産業の後身)の主要鉱山となる大東(だいとう)鉱山(島根県大原郡大東町、現・島根県雲南市)の開発は同年12月、谷治之助の名義でモリブデンの試掘権が設定されたときから始まりました。

冒頭の写真は、若き日の太陽産業科学研究所長・柳田彦次です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>ソーダ、ゴム、非鉄金属への進出~太陽曹達、日本輪業、日本冶金>太陽曹達(後・太陽産業、現・太陽鉱工)の歴史③

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