「日本油脂(現・日油)の歴史⑨」を掲載しました。

2019.2.7.

「日本油脂(現・日油)の歴史」を紹介するシリーズの9回目です。
いよいよ、今回がこのシリーズの最終回になります。

nissannkan.PNG合同油脂グリセリンは昭和2(1927)年3月、大日本人造肥料(後・日産化学工業)の傘下に入り昭和6(1931)年12月、社名を「合同油脂株式会社」に改称し再出発しましたが、その後の同社の歴史は鮎川義介率いる公開持株会社「日本産業株式会社」(日産)の投資政策によって大きな影響を受けることになります。

昭和12(1937)年6月1日、合同油脂は日本産業傘下の旧日本油脂と合併すると社名を「日本油脂株式会社」に改称し、ここに日産コンツェルンの一翼を担う一大油脂企業である(第一次)「日本油脂株式会社」が発足しました。

昭和20(1945)年4月、日本油脂は日本鉱業の化学部門と合併し、ここに新たに「日産化学工業株式会社」の社名のもとに一大化学企業が誕生。昭和24(1949)年7月には日産化学工業の事業部門の中から油脂、塗料、火薬、溶接の4部門を継承し(化学部門を存続会社とし)、日産化学工業の第二会社として(第二次)「日本油脂株式会社」の社名のもとに再スタートを切りました。平成19(2007)年10月、同社は創立70周年を機に社名を「日油株式会社」に変更し現在に至っています。

写真は日産コンツェルンの本拠地「日産館」(東京市芝区田村町[現・東京都港区西新橋1丁目])で、(第一次)日本油脂はここを本社としました。

詳細については、次の関連ページご覧下さい。

鈴木商店の歴史>油脂業界への進出~豊年製油・合同油脂の設立>日本油脂(現・日油)の歴史⑨

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