「日本油脂(現・日油)の歴史⑧」を掲載しました。

2019.1.19.

「日本油脂(現・日油)の歴史」を紹介するシリーズの8回目です。

oujikoujyousikennsitugoudouyusijidai.PNG大正12(1923)年9月1日、関東大震災が発生し合同油脂グリセリンの関東三工場(王子、保土ヶ谷、本所)は甚大な被害を受け、同社はこの損害を償却するため減資を断行します。

大正15(1926)年以後、同社の経営は比較的順調に推移しましたが運転資金は常に逼迫状態が続き、親会社の鈴木商店に常時150~160万円の資金融通を仰がねばなりませんでした。

こうした最中、大戦後の反動不況により大きな痛手を被り、関東大震災によりさらなる打撃を受けた鈴木商店は昭和2(1927)年4月、経営破綻を余儀なくされます。合同油脂グリセリンにとって資金融通を受けていた鈴木商店の破綻は大きな打撃となりました。

この非常事態を回避するため、合同油脂グリセリンは当時王子工場が水素の供給を受けていた「大日本人造肥料」(後・日産化学工業)の傘下に入ります。そして、減資等により財務内容の健全化をはかるとともに社名を合同油脂グリセリンから"グリセリン"の名称を省き昭和6(1931)年12月8日、「合同油脂株式会社」とし、再出発しました。

写真は、合同油脂時代の王子工場試験室の様子です。

詳細については、次の関連ページをご覧下さい。

鈴木商店の歴史>油脂業界への進出~豊年製油・合同油脂の設立>日本油脂(現・日油)の歴史⑧

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