鈴木商店こぼれ話シリーズ⑲「鈴木商店の躍進を警戒し帝国興信所に調査を依頼した三菱財閥」をご紹介します。

2017.12.15.

a0287992_2343257岩崎久弥.jpg明治3(1870)年、土佐藩出身の岩崎彌太郎が興した海運事業から始まった三菱財閥は、彌太郎以降四代の岩崎家の社長により三菱グループの基礎が築かれた。

明治19(1886)年、彌太郎のあとを継いだ二代・弟岩崎彌之助が新たに「三菱社」を設立、石炭・金属鉱山・造船・銀行業を中心にして三菱の飛躍を図った。明治26(1893)年、彌太郎の長男で三代社長となった久彌により「三菱合資会社」に改組し、明治32(1899)年には総務、鉱山、炭坑、造船、銀行、営業、地所の各部を置き、今日で言う事業部制を確立して経営の合理化を図った。

久彌は20年にわたって三菱を率いたが、明治35(1902)年には、三菱合資として初めての海外拠点となる漢口出張所が開設された。これを皮切りに、上海、香港、北京、ロンドン、ニューヨークに次々と海外拠点が設置され、三菱商事誕生の条件が整えられていった。また、営業部は一度廃止されるが、明治44(1911)年に復活、これが後に三菱商事へと発展していくことになる。(写真は、三菱財閥第三代総帥・ 岩崎久弥)

三菱合資は、四代・小弥太の時代に事業の発展とともに基幹部門の分離独立を開始、大正6(1917)年に三菱造船(株)、三菱製鉄(株)を、続いて三菱鉱業、三菱銀行を独立させ、大正7(1918)年に営業部の一切の事業を分離して、三菱商事(株)として独立させた。

第二次世界大戦終結後の 昭和21(1946)年に三菱本社は解体され、各社はそれぞれに独立した企業となり、今日ある姿へと発展した。

こうした三菱の変遷とほぼ時を同じくして新興の鈴木商店が急速に躍進し、三井と熾烈な競争を繰り広げて、"鈴木・三井"といわれる時代を築きつつあった。

本資料は、帝国興信所(後の帝国データバンク)神戸支所が大正6(1917)年12月に三菱(資)査業部に報告した調査書で、鈴木商店の全ての事業を網羅し、直営事業29,分身会社19,主要関係会社14についての報告書。
大正7(1918)年に営業部を独立させ「三菱商事」の設立を予定する三菱合資は、鈴木商店が日本一の総合商社となった大正6(1917)年、急遽帝国興信所に調査を依頼したものと思われる。

なお、同調査書の「要之」(結論)として次の記述が残されている。

「現状に徴し何等警戒の要無きも、最近の事業比較的多きと極度の拡張を為せる点とは多少注意を払うの要ありと認む」

 

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