鈴木商店こぼれ話シリーズ⑫「金子直吉の故郷・高知に残る鈴木商店ゆかりの3基の鉄橋」をご紹介します。

2017.8.12.

高知・橋梁-2.jpg"日本最後の清流"や"日本三大清流のひとつ"と云われる「四万十川」、片や"仁淀ブルー"や"青の神秘"と呼ばれる「仁淀川」ー金子直吉の故郷・高知には日本一を競う二本の清流が流れている。

それぞれの河川には、多くの橋が架かっているが、四万十川を代表する橋梁として「四万十川橋」と「大正橋」がある。また、仁淀川を代表するのは「仁淀川橋」で、これらの橋梁に共通するキーワードは、鈴木商店。(写真上段は「四万十川橋(通称「赤鉄橋」)、下段右は「大正橋」、左は「仁淀川橋」)

四万十川は、高知県西部を流れる渡川(わたりがわ)水系の本川で、四国最長196kmの一級河川。この川に架かる「四万十川橋」は、「渡川橋」とも呼ばれるほか、通称「赤鉄橋」として親しまれている。四万十市中村大橋通りに架かる四万十川橋の橋長は507m、幅員5.5m、鋼橋トラス橋(下部単純ワーレントラス)と呼ばれる構造で、大正15(1926)年7月に完成している。小説「四万十川 赤鉄橋の町」の著者・金井明氏によると施工業者として鈴木商店が受注し、鉄材制作を神戸製鋼所に、架設工事を鳥羽造船所(当時は、神戸製鋼所鳥羽造船工場)に請け負わせたことが記述されている。総工費50万円、鉄材2,000トンを超える大型工事で、金子直吉の人脈をフルに活用して受注したと推測される。

因みに大正15(1926)年度中村町の予算は9万円ほどであったという。同橋は、当時は四国一の鉄橋だったので、完成時、人口1万人の中村地区に10万人の見物客が来たと」いう。

鈴木商店破綻後も金子の幅広い人脈を生かし、鈴木の直系会社・播磨造船所(当時は、神戸製鋼所播磨造船工場)が橋梁工事の実績を残している。昭和2(1927)年に完成した四万十川支流の梼原(ゆすはら)川に架かる「大正橋」を、昭和5(1930)年に完成した仁淀川に架かる「仁淀川橋」を受注している。(播磨造船所50年史)

「大正橋」は、高岡郡四万十町大字尾崎に架かる橋長138m、幅員4.6mの中型の橋梁ながら、登録有形文化財に指定されている。また、「仁淀川橋」は、金子直吉生誕地に近い吾川郡いの町に架かる橋長373.69m、幅員5.8mで、四万十川橋と同様の下部式単純ワーレントラス構造の橋梁で、名橋と評価されている。

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