鈴木商店こぼれ話シリーズ⑥「鈴木商店の倒産は世界三大倒産の一つ」をご紹介します。

2017.5.10.

bookfan_bk-4479771956絶滅企業に学べ.jpg平成27(2015)年3月、大和書房より発行された「絶滅企業に学べ!今はなき人気企業に学ぶ10の「勝因」と「敗因」」の中には、かつて一世を風靡しながら今はなき"絶滅企業"10社が取り上げられています。先人の偉業に光を当て、未来の道を見つけようと著者(指南役)が提言しています。

今はなき10の巨大な企業のひとつに鈴木商店が取り上げられています。世界に冠たる日本の巨大企業であった鈴木商店が昭和2(1927)年、倒産に追い込まれたが、鈴木商店の倒産は1920年代から1930年代にかけての世界三大倒産劇(スウェーデンのマッチ王クロイガー・コンツエルン、ドイツの最大の財閥シュティンネス・コンツエルン、鈴木商店)の一つであったと伝えています。

神戸大学附属図書館が2008年2月15日~6月20日の間主催した常設展「近代神戸の源流を訪ねて・鈴木商店とマッチ産業の盛衰」のうち"鈴木商店の歩み"の中でも、鈴木商店倒産はスウェーデンのマッチ王・クロイガー・コンツエルンの倒産とともに世界三大倒産のひとつに数えられていると紹介しています

『・・・・ 大正7(1918)年、米価高騰が続き全国で米騒動が広がるなか、神戸でも暴動が起き鈴木商店も米の買い占め新聞報道で大衆に疑惑を持たれ、本店等が焼き打ちに合い全焼する惨事に見舞われたが、この時、欧州大戦終結に際し、まだ混沌としていた欧州諸国に対しての輸出、買い付けで巨利を得て即座に復活、大正8、9年の年商は16億(今の額にすれば500倍として8000億)となり三井物産を抜いて日本の商業史上で最高の記録を打ち立てた(城山三郎著『鼠』より)。
 しかし、金子ひとりによる独断経営は昭和2(1927)年に起こる金融恐慌により一気に破綻をきたし、企業金融を依存していた台湾銀行からも新規貸出停止を通告され、事は終われり、鈴木商店は4月に倒産した。
 ちなみに鈴木商店倒産は(ドイツ最大の財閥のシュティンネス・コンツェルン、)スウェーデンのマッチ王クロイガー・コンツェルンの倒産とともに、世界三大倒産の一つに数えられている。』 *(  )内は、省略されている。

また、静岡県立大学国際関係学部名誉教授・前坂俊之氏もその論文「日本の"怪物"実業家・金子直吉」(1997年歴史読本)や「財界のナポレオンー 世界一のグローバル商社を作った金子直吉」(2008年)の中で、「鈴木商店の倒産は世界三大倒産の一つともいわれた。」と述べ、さらに「"もし金子が米国で生まれていたなら、カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功していたであろう。二人には科学的な頭脳は無かったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であった。"と海外メディアは評した。」と興味深いエピソードを紹介しています。

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